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私本太平記
しほんたいへいき
作品ID52428
副題08 新田帖
08 にったじょう
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「私本太平記(五)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年4月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-01-20 / 2014-09-16
長さの目安約 253 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

大江山

 不破から西は、一瀉千里の行軍だった。この日すでに、足利軍五千は、湖畔の野洲の大原をえんえんと急いでいた。
「都へ着いても、おそらくは食糧難か」
 と、三河仕立ての輜重隊をひきつれていたことである。たくさんな牛車や馬列はいつもおくれがちで、ムチを振る足軽たちは、顔まで泥のハネにしていた。
 伊吹では、道誉が、加盟の証にと、自己の兵二百を加勢にさし出していたし、そこの難関をこえてからの高氏は、まったく、何の屈託もなさそうに見えた。いま行く道こそこの人の本来の面目であったように、しきりと前後の将へ、馬いきれの中で、はなしかけたりしていた。
「暑いなあ。このぶんでは、いくさは夏戦になるだろうよ。なあ直義」
「は」
「あすからは、夏支度にかえようわい。伊吹とはまるで季節がちがうようだ。都の内は、なお暑かろう」
「ことしは閏のうえ、はや四月も半ばですから」
「暦のうえも忘れて来た。おおあれは三上山、そのてまえは鏡山だな。するとここらは天智天皇が御猟のあとか」
「さればで」
 と、いったのは、直義と駒をならべていた今川範国で、言下に、万葉のひとつを、駒ひびきのあいだで、高吟していた。
あかねさす
むらさき野ゆき
しめ野行き
野守りは見ずや
君が袖振る
 すると高氏もすぐ言った。
「君が袖振る! ……。鏡の宿には、上杉と細川がわれらを待ちかねているだろうぞ」
 そこの古駅は、まもなくみえた。先ぶれが一騎、早くにつたえていたとみえ、宿の入口までくると、上杉憲房と細川和氏のふたりが迎えに立っていた。
 こう二人は、先に高氏の秘命をおびて、矢作から鏡へ先発していたものである。そして、ここの歌野寺のうちで、宮方の密使と出会い、
 後醍醐の綸旨
 をうけていたのであった。
 こんな手順は、彼の鎌倉出発いぜんに取られていたのはいうまでもないが、その仲介者はたれなのか。「梅松論」以下の書にも、それはたれとも明記はしてない。しかし前後の事情からみて、おそらくは、かの岩松経家の弟吉致あたりの才覚ではなかったかとおもわれる。
 いずれにせよ、高氏のむほんは初めから独走して起ったものではない。やはり後醍醐の綸旨をうけ、それによって、こころざしを遂げようとしたものだ。
 が、宮方にすれば、彼の幕府離反は、まぎれない彼の勤王精神とみたであろう。そこで、あらゆる困難の中を、鏡の宿まで、勅の密使をくだして来たものにちがいない。――ただ、後醍醐に後醍醐の理想があったように、高氏にもまた高氏のいだく未来図はあったのだ。それは元々、似ても似つかぬ理想であったし、初めから妥協の余地もないものだった。
 四月十六日。
 はやくも、高氏以下の軍は、洛中へ入っていた。
 廃墟。都の今はそれにつきる。
 大内の森や里内裏にも、住まうお人はいなかった。
 平家都落ちのむかしとて、こんなではなかったろう。焼けの…

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