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私本太平記
しほんたいへいき
作品ID52433
副題13 黒白帖
13 こくびゃくじょう
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「私本太平記(八)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年5月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-02-04 / 2014-09-16
長さの目安約 238 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

国土病む

 直義は残って、なお重臣たちと、今後の方針をかためあった。
 御逃亡の君については、詮議はもちろん、尊氏の意を服膺して、むしろ予想しうる二次、三次のそなえに心をくばるべきであるとし、ほどなくみな、退出した。
 そのあと。
 直義は、広間から兄のいる一殿へ渡って行った。――なにかよい話があるといわれたが、どんな話が自分を待つのか。――彼もいまは、いつものおちつきにもどっていた。
 彼を見ると、尊氏は、
「すぐ、正月だなあ」
 と、言った。
 話は、そんなことばからほぐれてゆき、――全然、時局のことではなかったのである。
「ほかでもないが弟。近々に、上杉重能がお供して、母者をこれへおつれして来るぞ。……どうだ、うれしかろうが」
「えっ、母上を」
「元弘いらい、ほとんど、別れ別れ、親と子、ひとつにいたこともないわしたちだった。父貞氏どのの御逝去のころを境に、世は大乱にむかい、われらは戦陣また戦陣――。母者もまた、あの鎌倉から三河、伊吹、さらには丹波の山奥と、流転に流転をかさねられた……。おもえば御不幸なお方ではある」
「上杉伊豆(重能)の領地、丹波の梅迫へと、夏ごろ、ひそかにお移りとは、かねて伺っておりましたが」
「む、一ト頃は、伊吹もあやうく、そのため、道誉の手で、梅迫の光福寺(現・安国寺)へ御避難をおすすめ申しおいたもの。……じつは、尊氏自身で、丹波へお迎えにとも考えたが、都の留守も案じられ、佐々木道誉を、数日前に、わしの代りにつかわしておいたのだ。……思えば、これは虫の知らせであったらしい」
「ははあ。それは僥倖でしたな。もし後醍醐の件が、御不在中のことでもあったら、どんな大混乱となっていたかわかりません。それにつけ、都もまだこんなありさまでは、せっかく母上をお迎えしても、いつまた、いかなる変を見まいものではなく、それがまた、兄者の御負担になりはいたしませぬか」
「いや。わしとおまえとの、兄弟の心次第だろう。そとの敵は、あらまし、恐れるにはたらん。……かつはまた」
 と、尊氏は、あらたまって、こう言った。
「上に、新しい朝廷を仰ぎ、そして、室町幕府の第一歩をそのお膝もとに開く日にあたりながら、なお尊氏が、自分の母や妻子らを、遠くにおいているとあっては、諸民の思わくがどうであろうか。人心の鎮めにも、よいかたちではない」
「いかにも、それはその通りですが」
「かたがた、久しぶりで戦のない正月だ。こんな年は、夢の世のつかのまみたいに珍しい。母上にも、こうなりましたという所をば、お目にかけようではないか。それを見れば、朝の廷臣方も安堵しようし、また自然、洛内の市民にも、正月気分が興ろうと申すもの」
 いまから尊氏は、その日を、楽しんでいるふうだった。そうまでには、心からよろこべない直義ではあるにしろ、彼にも決して悪い気はしなかった。
 さきに。
 尊氏は…

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