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随筆 宮本武蔵
ずいひつ みやもとむさし
作品ID52434
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「随筆 宮本武蔵/随筆 私本太平記」 吉川英治歴史時代文庫 補5、講談社
1990(平成2)年10月11日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-03-06 / 2014-09-16
長さの目安約 288 ページ(500字/頁で計算)

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本文より





 古人を観るのは、山を観るようなものである。観る者の心ひとつで、山のありかたは千差万別する。
 無用にも有用にも。遠くにも、身近にも。
 山に対して、山を観るがごとく、時をへだてて古人を観る。興趣はつきない。

 過去の空には、古人の群峰がある。そのたくさんな山影の中で、宮本武蔵は、私のすきな古人のひとりである。剣という秋霜の気が、その人の全部かのように荊々しく思われて来たが、彼の仮名文字をようく見つめているとわかる。あんな優雅なにおい、やさしさ、細やかさ、虚淡な美を、剣を持つ指の先から書きながす人が、過去にも幾人とあったろうか。

 子どもが好きだ。漂泊の途で、不幸で質のいい子を見かけると彼は拾う。銀の猫をやって立去った西行さんより人間的だ。なぜなら、彼も不幸な子だったから。

 自ら伸ばそうともしない生命の芽を、また運命を、日陰へばかり這わせて、不遇を時代のせいにばかりしたがる者は、彼の友ではあり得ない。大風にもあらい波にも、時代がぶつけて来るものへは、大手をひろげてぶつかり、それに屈しないのが、彼の歩みだった。道だった。

 近代の物力以上、近代人の知能以上、系図や家門が重んじられた社会制度の頃に生きて、一郷士の子という以外、彼は何も持たなかった。持てるようになってからも持たなかった。死ぬまで、離さなかったものがただ一つあった。剣である。その道である。

 剣をとおして、彼は人間の凡愚と菩提を見、人間という煩悩のかたまりが、その生きるための闘争本能が、どう処理してゆけるものか、死ぬまで苦労してみた人だ。乱麻殺伐な時風に、人間を斬る具とのみされていた剣を、同時に、仏光ともなし、愛のつるぎともして、人生の修羅なるものを、人間苦の一つの好争性を、しみじみ哲学してみた人である。
 剣を、一ツの「道」にまで、精神的なものへ、引上げたのも彼である。応仁から戦国期へかけて、ただ殺伐にばかり歩いてきた、さむらいの道は、まちがいなくそこから踏み直したといっていい。

 眸が琥珀色だった。六尺近くも背があった。生涯六十何度かの試合に勝ちとおした。一生妻も娶らなかった。晩年は髪もくしけずらず湯にもはいらなかった。――こころの垢はそそぐとも身の垢はそそぐによしなし[#「こころの垢はそそぐとも身の垢はそそぐによしなし」はママ]、と猶、心をくだいていた。ずいぶん怖い人にちがいなかった。だが今日残っている彼の画は、老梅の花とも、秋霜の菊華とも、気品のたかさゆかしさ、称えようもないではないか。

 そういう武蔵。いろいろな角度から、観る者の眼ひとつで、いろいろに観られる武蔵。
 従って、名人論、非名人論、古くから毀誉褒貶のなかに彼の名は漂わされて来た。私はまた小説に書いた。
 小説は必ずしも史実を追っていない。ただ古人の足あとをたよりに、その内面のこころへ迫ってみるしか為す…

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