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随筆 私本太平記
ずいひつ しほんたいへいき
作品ID52435
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「随筆 宮本武蔵/随筆私本太平記」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年10月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-02-07 / 2014-09-16
長さの目安約 116 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

新春太平綺語






 おそらく、十代二十代の人には一笑にも値しまい。けれど私たちの年齢の者は、平凡なはなしだが、「ああ、元日か」の感慨を年々またあらたにする。昨日の歴史、あの戦中戦後を通って来て、生ける身を、ふしぎに思うからである。そこで去年(昭和三十二年)の正月の試筆には、戯れ半分に「元日や今年もどうぞ女房どの」などという句を色紙にかけて拝むことにしておいた。すると升田幸三氏やら誰やら、つね日ごろ女房泣かせの輩が来ては「おれにも書いてくれ」と請われるまま、ついトソ気分で、おなじ句を何枚も人に書いてやった。ところが中にはそんな甘い文句の家庭円満剤では何の効き目もないらしい呑ンべな亭主どのもあったので、そんな人へは特に「これは細君に上げ給え」といってはべつな句をこう書いてあげた。
鶯やうちの亭主はどこの木に

 むかしから、“太平楽”という言葉がある。クリスマスからつづいてまだ不足顔の醒めない“正月の亭主族”のごとき者をいったのだろう。語源は「太平記」以前であるにちがいない。それが古典の太平記に用いられてから謡曲、民劇、小説などでさらに一般化したのである。室町期の記録もの、お伽草子。また江戸時代の小説類などおよそ“太平記”という書題を取ったものは百種以上にものぼるであろうか。たとえば「お伽太平記」「ごばん太平記」「女太平記」「東国太平記」「化物太平記」近年でも「新聞太平記」「何々太平記」など、とてもかぞえきれない。私のこんど書く「私本太平記」もその一つに入るわけである。けれど無数の書名は、じっさいには、ほんとの太平記の内容とは、何のかかわりもなく、ただその“太平”ということばの持つ広さや漠とした思わせぶりに仮托したものが大部分であるといってよい。

 原典の「太平記」を書いた作者は、小島ノ法師円寂とされている。が、この人の伝記もよくわかっていない。書かれた時代は正平から応安年間(今から約六百年前)ごろだろうと考察されている。いずれにせよ、足利尊氏の死期をまたいだ頃だったらしい。しかし筆者の小島ノ法師は、当時でいう宮方(南朝方)の人であったから、その物語は多分に一方的であって、史料として信じるわけにいかない学説は古くからあった。けれどまた、北朝方の手に成った「梅松論」という一書もあり、これはむしろ足利尊氏方なので、二書をあわせ見れば、やや公平にちかい客観点に立てぬことはない。そのほか、同時代の日記物、文書、古記録のたぐいは、古くから現代の歴史家までが、あまねく漁りつくしているので、新発見というような史料は、おそらく今日ではもうありえない。求めてもむりである。
 けれどまた、私の拙い作品でも、これが新聞小説となって、世衆の関心にふれてくると、社寺院の開かずの扉や郷土の暗黒倉などから、何が出てくるかわからない。現に、きのうも電話で、私にかくれた南北朝史料を提供…

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