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おに
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「柳生月影抄 名作短編集(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年9月11日
初出「オール読物 一月号」1937(昭和12)年1月号
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-12 / 2014-09-16
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「――お待ちかねでいらっしゃる。何、そのままの支度でさし支えありますまい。すぐ庭口へ」
 と、近習番に促されると、棟方与右衛門は、よけいに足も進まず、気も晦くなってしまう。
 案のじょうである。
 大書院へ出ていた君侯の面には、焦躁のすじが立っていた。与右衛門が土へ手をつくとすぐ、
「討ったか」
 と、頭から云い、そして与右衛門が顔を上げずにいるとまた、
「主水めの首をこれへ見せい」
 と云うのだった。
 出羽守の立腹も、藩の士気を正すためには、当然そうなるべきで、ただの癇癪ではないのである。
 家臣の福原主水が、女の意趣とか何とか、言語道断な沙汰で、同僚の者を暗殺した上、藩用を詐称して、城下の町人から急場の金を借り、それを持って、今暁、津軽領から逐電[#ルビの「ちくでん」は底本では「ちくてん」]してしまった。
 追手討ち!
 勿論、棟方与右衛門だけが、君命をうけたわけではないが、生憎と、足軽頭である与右衛門は、その朝、組下を連れてこの弘前城の二の丸へ早くから出ていたので、出羽守の眼にとまって、
(そちも行って手功をして来い)
 と吩咐けられたものであった。
 これは君恩と云っていい。こういう折でもなければ、十石の扶持でも上げられる時勢ではないし、一藩に認められるのもこんな時こそ侍の働き効いというものだった。
 与右衛門は勇躍して、主水を追跡した。そして南部領へ落ちて行こうとする彼を、出羽街道の碇ヶ関の山中で見つけ、
(君命であるぞ、主水! 首を所望)
 とまでは、名乗りかけたし、また討って帰るつもりだった。



 碇ヶ関まではずいぶん山道を歩く。人にも会わない道が何里とあった。主水と出会った山中も、仏法僧の声しか聞えない樹立の間だった。
 兇悪な――上ずった眼でもしているかと想像していた主水は、案外、落着いていて、悪びれたふうもなく、
(騒がしてすまなかった)
 と最初に云った。
 それから彼は、同僚を斬った理由を語り、藩用と詐称して借りた金を、実は自分の身に帯びて来たわけでなく、同役は今みんな喰えなくなっている。扶持では実際に食えない実状なのだから仕方がない。それに起因して、自暴自棄になりかかっている輩がかなりある。自分もその一人なので、こんな時だと考えたから、大町人の金を借出して、そっと喰えない仲間へ置いて来てやったのだとも云うのである。
 ――そんな話を聞いてしまうと、与右衛門は、主水を斬る気を失ってしまった。主水はまた、与右衛門に対して害意を抱いている気色など少しもない。むしろ懐かしげに現在の藩の困窮だの、武士道と実生活の矛盾だのそこから起る弊風だの……つい与右衛門も頷いてしまうし、彼も話しやめようとしない。
 人気もない山中の禽の声を聞きながらであった。
 ――藩へ帰って来てから、しまったと後では思い、今また、君侯の顔を仰ぐと、いよいよ…

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