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旗岡巡査
はたおかじゅんさ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「柳生月影抄 名作短編集(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年9月11日
初出「週刊朝日 初夏特別号」1937(昭和12)年
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-24 / 2014-09-16
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

雲雀も啼かぬ日




 河が吼えるように河の底から、船頭の大きな声が、
「――船止めだとようっ」
「六刻かぎりで、川筋も陸も往来止めだぞうっ」
 船から船へ、呶鳴り交わしてから触れ合っていた。
 下総の松戸の宿場。
 雪はやっと、降りやんではいたが――
 きのうからの大雪は、この地方にまでわたっていた。三月の桃の節句だ。雲雀は死んだように黙ってしまい、菜の花も青い麦も雪の下だった。万延元年のこの日は、江戸表だけの天変地異ではなかったのである。
 醤油船の権十は、
「お松、何をいつまで、愚図愚図してるだ。まだ燃え付かねえのか」
 煙に顔を顰めながら、岸へ繋綱を取っていた。
 権十の娘は、まだ十五、六の小娘だった。
「だって、父っさま、薪が濡れているで、いくら燃やしても、燃えやしねえだもの」
 煤りかけている七輪へ顔を寄せて、眼を紅く爛らせながら艫の方からいう。
 すると隣の干鰯船から、仲間の八が、苫を剥くって、
「――権十、飯の支度か」と顔を出した。
「そうよ、これからだ。嬶あに死なれてからというもの、お松の奴アまだからっきし子供だしよ、美味え飯なんぞ喰ったこたあねえ」
「そういっちゃあ、お松ッ子が可哀そうだぜ、十五にしちゃよく働く方だ。なア、お松ちゃん」
 八は、着物をかえていた。そして岸へ上がって行きながら、
「おらあ、町へ行って、一ぺい飲るつもりだが、どうだい権十、つきあわねえか」と、誘った。
「さあ? ……」
 権十は、生返辞だった。父娘が二人きりの船世帯なので、十五の小娘を一人残して行くには忍びないらしいのである。
 八は、陸から、
「なあ、お松ッ子。帰りにゃ簪を買って来てやらあ。いい子だから、お飯が炊けたら、一人で喰べて、先に寝ていな、いいだろ」
「ああいいよ」
 お松は、岸を仰いで笑った。船頭の娘なので、河っ童のように髪の毛は赤いし、色は黒いが、眼元がぱっちりしていて、研けば今に、潮来でお職が張れるなどとよく揶揄われたりするほど、どことなくそんな素質の小娘だった。



 この地方ばかりでなく、諸国とも、今日から一切「鳴物停止」のお布令だった。
 七軒町の遊廓も、雪明りの中に、しいんと軒を並べて戸を閉めていた。野良犬の影が、今夜は妙に目立って見える。勿論、張店はしていないし、燈火の洩れるのさえ遠慮がちに、ペンという音さえ洩れて来ないのである。
「よせよ」
「いいったら」
「おめえはいいだろうが、おらあお松坊が、淋しがっているから」
「何いッてやんで。女房に死にわかれて、てめえだって、満更、淋しくねえこともあるめえが」
「だって」
「まア、来いったら」
 何処かで、ベロベロに酔っぱらって来た八と権十だった。犬ころのように、首と首とを絡み合ってよろけて来る。そして、細目に開けた大戸の隙から手招きしている鼠鳴きに呼び込まれ、そのままふらふらと登楼…

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