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柳生月影抄
やぎゅうつきかげしょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「柳生月影抄 名作短編集(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年9月11日
初出「週刊朝日 新春特別号」1939(昭和14)年
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-04-03 / 2014-09-16
長さの目安約 58 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

弟の窓・兄の窓




 紺屋の干し場には、もう朝の薄陽が映している。
 干瓢のように懸け並べた無数の白い布、花色の布、紅い模様のある布などが、裏町の裏から秋の空に、高々と揺れていた。
「そんな身装で、近所の人目につく。――お駒、もういい、家に這入っておれというに」
 又十郎宗冬は、叱るように、後から尾いて来る彼女へいったが、お駒は、
「そこまで」
 と、いつもの癖のように、妾宅の露地から小走りに――ゆうべの寝髪のまま――往来の角まで彼を送って出た。
 そして又十郎が、振向きもせず急ぐ背へ、
「よござんすか。待っていますよ。――あさってですよ。あさってまた」
 と、露地の陰から、二度もいった。
 ――浅ましい!
 又十郎は、ぞっとするほど、その時は厭な気もちに襲われるのだった。あさってまた、この露地の家へ来るのかと思うだけでも、負担であった。
 遁れるように足は急いでいる――。まだ露じめりのあるゆうべの笠を、銀杏なりのまま、横顔へ深くすぼめて、
(もう通うまい。父にもすまぬ。――いや世間に対してだって)
 独り抉るほど、慚愧をむねに繰返すのであった。
 世間は眼まぐるしく活動している。大根河岸の市場はわいわいと旺だ。金、金、金と突ンのめるほど町人たちは首を前へ出して駈け歩いている。登城する騎馬の侍だの、駕籠の列にも意地わるくよく行き会う。
 又十郎宗冬は、なるべく裏通り裏通りと選んで歩いた。八重洲河岸の屋敷へ近づくにつれて、難しい父の顔が胸につかえてくる。登城して、もう屋敷にはいない時刻だが、
(留守であってくれればいいが)
 と、万一の場合を惧れて、そればかりが祈られる。
 二十四歳にもなったが、父の恐さは、幼少と変らなかった。いや、湯女のお駒に家を持たせて、屋敷を空けがちになってからは、よけいにあの眼が、あの眉が、いつも自分を睨めまわしている気がした。あたかも司直と罪人の間のように。
 獄を出て獄へ帰るかのような悶えに絡まれながら、彼はやがて八重洲原まで来ていた。もうすぐそこに厳しいわが家の門と白い土塀があった。
「はてな? 何だろう」
 又十郎は、ふと足を止めた。
 古編笠をかぶった浪人者が一名、埃臭い蝙蝠羽織に、溝染の袷を着、肩をそびやかして傲然と、門前に突っ立っている。――そしてそれを囲んで、門番や家来の者たちが、
「たとえお在でであろうと、御不在であろうと、殿御自身が、風来の訪問者と、お試合になるなどという事は決してない。取次ぐまでもなく、無用な求めだ。帰らっしゃい、帰らっしゃいっ」
 と、何か声高に、いい争っているのだった。



「自分は兵法執心の者である。敢えて、勝負ばかりを事としたり、虚名を追ったり、旅銭と称する合力など求めて歩く類の者と、同視されたくないのでいうが――」
 と、綾部大機は、柳生の門に立った最初に、まず広言をはらって、…

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