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十二支考
じゅうにしこう
副題01 虎に関する史話と伝説民俗
01 とらにかんするしわとでんせつみんぞく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「十二支考(上)〔全2冊〕」 岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年1月17日
初出虎に関する史話と伝説民俗「太陽 二〇ノ一、二〇ノ五、二〇ノ九」博文館、1914(大正3)年1月、5月、7月<br>(付)虎が人に方術を教えた事「民俗学 三ノ一〇」民俗学会、1930(昭和5)年10月
入力者小林繁雄
校正者浜野智
公開 / 更新1999-03-23 / 2016-05-23
長さの目安約 76 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     (一) 名義の事

 虎梵名ヴィヤグラ、今のインド語でバグ、南インドのタミル語でピリ、ジャワ名マチャム、マレー名リマウ、アラブ名ニムル、英語でタイガー、その他欧州諸国大抵これに似おり、いずれもギリシアやラテンのチグリスに基づく。そのチグリスなる名は古ペルシア語のチグリ(箭)より出で、虎の駛く走るを箭の飛ぶに比べたるに因るならんという。わが国でも古来虎を実際見ずに千里を走ると信じ、戯曲に清正の捷疾を賞して千里一跳虎之助などと洒落て居る。プリニの『博物志』に拠れば生きた虎をローマ人が初めて見たのはアウグスッス帝の代だった。それより前に欧州人が実物を見る事極めて罕だったから、虎が餌を捕うるため跳る疾さをペルシアで箭の飛ぶに比べたのを聞き違えてかプリニの第八巻二十五章にこんな言を述べて居る。曰く「ヒルカニアとインドに虎あり疾く走る事驚くべし。子を多く産むその子ことごとく取り去られた時最も疾く走る。例えば猟夫間に乗じその子供を取りて馬を替えて極力馳せ去るも、父虎もとより一向子の世話を焼かず。母虎巣に帰って変を覚ると直ちに臭を嗅いで跡を尋ね箭のごとく走り追う。その声近くなる時猟夫虎の子一つを落す。母これを銜えて巣に奔り帰りその子を[#挿絵]きてまた猟夫を追う。また子一つを落すを拾い巣に伴い帰りてまた拾いに奔る。かかる間に猟師余すところの虎の子供を全うして船に乗る。母虎浜に立ちて望み見ていたずらに惆恨す」と。しかれども十七世紀には欧人東洋に航して親り活きた虎を自然生活のまま観察した者多くなり、噂ほど長途を疾く走るものでないと解ったので、英国サー・トマス・ブラウンの『俗説弁惑』にプリニの説を破り居る。李時珍いう虎はその声に象ると、虎唐音フウ、虎がフウと吼えるその声をそのまま名としたというんだ。これはしかるべき説で凡てどこでもオノマトープとて動物の声をその物の名としたのがすこぶる多い。往年『学芸志林』で浜田健次郎君がわが国の諸例を詳しく述べられた。虎の異名多くある中に晋梁以後の書にしばしば大虫と呼んだ事が見える。大きな動物すなわち大親分と尊称した語らしい。スウェーデンの牧牛女は狼を黙者、灰色脚、金歯など呼び、熊を老爺、大父、十二人力、金脚など名づけ決してその本名を呼ばず、また同国の小農輩キリスト昇天日の前の第二週の間鼠蛇等の名を言わず、いずれもその害を避けんためだ(ロイド『瑞典小農生活』)。カナリース族は矮の本名を言わずベンガルでは必ず虎を外叔父と唱う(リウィス『錫蘭俗伝』)。わが邦にも諸職各々忌詞あって、『北越雪譜』に杣人や猟師が熊狼から女根まで決して本名を称えぬ例を挙げ、熊野でも兎を巫輩狼を山の神また御客様など言い山中で天狗を天狗と呼ばず高様と言った。また支那で虎を李耳と称う、晋の郭璞は〈虎物を食うに耳に値えばすなわち止む、故に李耳と呼ぶ、その諱に触るればなり〉…

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