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郷愁
きょうしゅう
作品ID52680
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集11」 筑摩書房
1999(平成11)年3月25日
入力者小林繁雄
校正者阿部哲也
公開 / 更新2011-12-20 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は野暮な田舍者なので、詩人のベレエ帽や、ビロオドのズボンなど見ると、どうにも落ちつかず、またその作品といふものを拜見しても、散文をただやたらに行をかへて書いて讀みにくくして、意味ありげに見せかけてゐるとしか思はれず、もとから詩人と自稱する人たちを、いけ好かなく思つてゐた。黒眼鏡をかけたスパイは、スパイとして使ひものにならないのと同樣に、所謂「詩人らしい」虚榮のヒステリズムは、文學の不潔な虱だとさへ思つてゐた。「詩人らしい」といふ言葉にさへぞつとした。けれども、津村信夫の仲間の詩人たちは、そんな氣障なものではなかつた。たいてい普通の風貌をしてゐた。田舍者の私には、それが何より頼もしく思はれた。
 わけても津村信夫は、私と同じくらゐの年配でもあり、その他にも理由はあつたが、とにかく私には非常な近親性を感じさせた。津村信夫と知合つてから、十年にもなるが、いつ逢つても笑つてゐた。けれども私は津村を陽氣な人だとは思はなかつた。ハムレツトはいつも笑つてゐる。さうしてドンキホーテは、自分を「憂ひ顏の騎士」と呼んでくれと從者に頼む。津村の家庭は、俗にいふ「いい家」のやうである。けれども、いい家にはまた、いい家のいやな憂鬱があるものであらう。殊に「いい家」に生れて詩を書く事には、妙な難儀があるものではなからうか。私は津村の笑顏を見ると、いつもそれこそ憂鬱の水底から湧いた寂光みたいなものを感じた。可哀想だと思つた。よくこらへてゐると感心した。私ならば、やけくそを起してしまふのに、津村はおとなしく笑つてゐる。
 私は津村の生きかたを、私の手本にしようと思つた事さへある。
 私が津村を思つてゐるほど津村が私を思つてくれてゐたかどうか、それについては私は自惚れたくない。私は津村には、ずゐぶん迷惑をかけた。あの頃は共に大學生であつたが、私が本郷のおそばやなどでお酒を飮んで、お勘定のはうが心許なく思はれて來ると、津村のところへ電話をかけた。おそばやの帳場の人たちに實状をさとらせたくないので、「ヘルプ! ヘルプ!」とだけ云ふのだ。それでも津村にはちやんとわかるのだ。にこにこ笑ひながらやつて來る。
 私はそのやうにして二、三度たすけられた。忘れた事がない。それは、はつきり惡い事であるから、いつかきつと、おわびしなければならぬと思つてゐるうちに、信夫逝去の速達を津村の兄からもらつた。その時にはまた、私の家では妻の出産で一家が甲府へ行つてゐたので、速達を見たのが數日後で、私は告別式にも、また仲間の追悼會にも出席できなかつた。運が惡かつた。いつか、ひとりで、お墓へおわびに行かうと思つてゐる。
 津村は天國へ行つたにきまつてゐるし、私は死んでも他のところへ行くのだから、もう永遠に津村の顏を見る事が出來まい。地獄の底から、「ヘルプ! ヘルプ!」と叫んでも、もう津村も來てくれまい。
 もう、わかれて…

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