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金銭の話
きんせんのはなし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集11」 筑摩書房
1999(平成11)年3月25日
初出「雜誌日本」1943(昭和18)年10月1日
入力者小林繁雄
校正者阿部哲也
公開 / 更新2011-12-23 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 宵越しの金は持たぬなどといふ例の江戸つ子氣質は、いまは國家のためにもゆゆしき罪惡で、なんとかして二、三千圓も貯金してお國の役に立ちたいと思ふものの、どういふわけかお金が殘らぬ。むかしの藝術家たちには、とかく貯金をいやしむ風習があつて、赤貧洗ふが如き状態を以て潔しとしてゐた樣子であつたが、いまはそのやうな特殊の生活態度などはゆるされぬ。一億國民ひとしく貯蓄にいそしまなければならぬ重大な時期であると、嚴肅に我が身に教へてゐるのだが、どういふわけか、お金が殘らぬ。私には貧乏を誇るなんて厭味な、ひねくれた氣持はない。どうかして、たつぷりとお金を殘したいものだと、いつも思つてゐる。恆産があれば恆心を生ずるといふ諺をも信じてゐる。貧乏人根性といふものは、決していいものではない。貯金のたくさんある人には、やつぱりどこか犯しがたい雅操がある。個人の品位を保つ上にも貯金は不可缺のものであるのに、更にこのたびの大戰の完勝のために喫緊のものであるのだから、しやれや冗談でなく、この際さらに一段と眞劍に貯蓄の工夫をこらすべきである。少し辯解めくけれども、私の職業は貯蓄にいくぶん不適當なのではあるまいか、とも思はれる。はひる時には、年に一度か二度、五百圓、千圓とまとまつてはひるのだが、それを郵便局あるひは銀行にあづけて、ほつと一息ついて、次の仕事の準備などをしてゐる間に、もう貯金がきれいに無くなつてゐる、いつのまにやら、無くなつてゐるのである。こまかい事は言ひたくないが、私の生活などは東京でも下層に屬する生活だと思つてゐる。文字どほりの、あばらやに住んでゐる。三鷹の薄汚い酒の店で、生葡萄酒なんかを飮んで文學を談ずるくらゐが、唯一の道樂で、ほかには、大きなむだ使ひなどをした覺えはない。學生時代には、ばかな浪費をした事もあるが、いまの家庭を營むやうになつて以來は、私はむしろ吝嗇になつた。けれども、どうもお金が殘らぬ。或ひは、私は、貧乏性といふやつなのかも知れない。一文惜しみの百失ひといふやつである。一生お金の苦勞からのがれられぬ宿業を負つて生れて來たのかも知れない。私の耳朶は、あまり大きくない。けれども、それだからとて、あきらめてはいけない。お國のためにも、なんとかして工夫をこらすべき時である。結局、私は、下手なのである、やりくりが上手でないのであらう。再思三省すべきであらう。
 私は西鶴の「日本永代藏」や、「胸算用」を更に熟讀玩味する事に依つて、貯蓄の妙訣を體得しようと思ひ立つた。西鶴は、いろいろと私に教へる。
「人の家にありたきは、梅櫻松楓、それよりは金銀米錢ぞかし、庭山にまさりて庭藏の眺め、」と書いてある。全く贊成である。さうして西鶴は、さまざまな貯蓄の名人の逸事を報告してゐるのである。
「この男一生のうち草履の鼻緒を踏み切らず、釘のかしらに袖をかけて破らず、よろづに氣を付けて其の…

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