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古川ロッパ昭和日記
ふるかわロッパしょうわにっき |
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作品ID | 52689 |
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副題 | 01 昭和九年 01 しょうわくねん |
著者 | 古川 緑波 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」 晶文社 2007(平成19)年2月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2012-01-22 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 202 ページ(500字/頁で計算) |
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前年記
昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一日より大阪吉本興行部の手で、京都新京極の中座といふ万才小屋と、富貴といふ寄席で声帯模写をやり、大阪へ廻って、南北の花月に出演、名古屋松竹座へ寄り、三月帰京、此の月一杯遊び、四月一日より常盤興行の手で、「笑の王国」創立、四月一杯のつもりの仕事が、好評満員で、五・六・七月と常盤座で打ち続け、僕無休で働いた。
八月の酷暑も松竹座に出演し、九月は公園劇場だったので休演、川口・東氏の手で東海道を、徳川夢声と共に旅行し、ムザンなる目にあひ、十月は再び「笑の王国」金龍館公演に加はり、十・十一・十二月と大入りを続けて、打ち通した。目下の状態は、「笑の王国」は、金龍館を本城として常打ちといふことになってゐる。そして、僕はその代表、座長といふことになってゐる。
「笑の王国」は、今年何うなるか、古川緑波は何うなるか、昭和九年こそ自重すべく、ます/\ハリ切るべき年である。
[#改ページ]
昭和九年一月
一月一日(月曜)
昨暁明治神宮へ参拝。本日は午前七時起床、入浴し、雑煮を祝って、八時半自動車来り、雷門まで。浅草観音へ参拝。公園を一巡して金龍館へ来る。正月気分が今年程、稀薄だったのは初めてだ。仕事のせいが一ばんあるだらうが、世間も段々さうなって来るのではあるまいか。十時開幕が少しおくれて開く。「凸凹世界漫遊」ドッと受けない。初日にもさう思ったが、レヴィウ式のものを書くには、もっと準備が必要だ。スラ/\と運びすぎるし、ギャグも少かった。夕方大入つく。大分客足がいゝので三回半、即ち「凸凹」までに定る。楽屋へハイダシ来り、大いに憂鬱なり。ギャング気分横溢、館の用人棒とハイダシの喧嘩さわぎ等、これが浅草の正月か。
一月二日(火曜)
松の内は九時半着到十時開演。寝坊ちっとも出来ず。「凸凹世界漫遊」は漸くスピードも出て来て、及第点の出来。二回目、三回目はギッシリ大入りで漸く正月らしく、三階の客悲鳴をあげて、「五十銭出してるんだからよく見せてくれ」「押すな痛い/\」それにかまはずドン/″\走って芝居する気分、之が浅草の正月らしい。又々ギャングみたいな奴来り、「先生おめでたうござい、エヘゝゝ」と二円持って行く。之もお正月らしいと笑って置くか。
正月の客は、つまらぬことでもワッワと笑ふ。いつもなら手の来べきところで来なかったり――兎に角正月の出し物は他愛なくあれ。
一月三日(水曜)
九時に起されて、急いで風呂へ入り、食事をし、紅茶一杯飲む暇もなく、円タクで出かける。正月の三ヶ日、漸く此の商売を辛いと思ふ。が、のんびり起きて、さて行くところもないのよりは遙にいゝ。今日も割れる程の大入り。客席も正月らしいが、又々楽屋へ小ギャング来り、金一円…