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韓非子解題
かんぴしかいだい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「韓非子」 漢文叢書、有朋堂書店
1921(大正10)年8月7日
入力者齊藤正高
校正者草野耀司
公開 / 更新2013-05-30 / 2014-09-16
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

第一 韓非の傳

 本書の著者韓非は、韓の公室の一族なり。其の人となり、吃にして辯説に拙なれども、文筆に長ず。李斯と與に荀卿の門に學ぶ。李斯其の才能の及ばざるを以て窃かに之を畏る。當時の氣運は、既に戰國一統の任務を、秦に與へたるの時にして、韓國は日に侵略せられ、其危きこと累卵の如き状態なり。然るに韓王(名は安)は法制を明かにして、臣下を御すること能はず、其の外交政略は、徒らに合縱連衡の説客に動かされて、一定の方針なし。韓非之を傍觀するに忍びず、數ば書を上りて之を諫めたれども、用ひられず。是に於て孤憤、五蠧、説難諸篇すべて五十餘篇を著はす。其文詞雄健峭直にして、頗る人情の機微を穿ち、時勢の肯綮に適す。秦王(始皇帝)偶[#挿絵]之を覽て、大に其才を賞嘆して曰く、寡人もし此人と與に遊ぶを得ば、死すとも恨みずと。是に於て兵を發して韓を攻む。韓王始めて非の言の虚ならざるを知り、之を秦に派遣して、交渉の人に當らしむ。秦王之を悦びたれども、外人なれば未だ十分に信用せず。然るに李斯以爲へらく、韓非もし重用せらるゝときは、自己の地位を奪ふに至るべしと。乃ち姚賈と與に韓非を讒して曰く、大王は韓非を悦ぶも、本と是れ外國の臣なり、豈に我秦の爲に利を計るものならんや、さりとて之を本國に追ひ歸へさば、我秦の状況を泄らすに至るべし、法律に照して之を誅すべしと。(姚賈と韓非との關係は戰國策秦策下を見よ)秦王之を聽きて獄に下し、其罪跡を審判せしむ。韓非自ら陳疏せんとするも、李斯は之を隔てて上聞に達せしめず、且つ毒藥を遣りて其自殺を諷す。秦王後に悔い赦命を下ししも、韓非すでに死したり。其年月詳かならずと雖も、大略秦王の十三年頃にして、西暦紀元前二百三十四年に當る。

第二 韓非子の由來

 前述の如く、韓非は孤憤以下十餘萬言を著す、之を韓非子又韓子と稱す。漢書の藝文志に五十五篇となし、史記本傳の正義には、阮孝緒の七略を引いて、二十卷となす、今の通行本二十卷五十五篇と相合す。但し最初の初見秦、存韓及び卷末の忠孝、人主、飭令すべて五篇は、學者或は韓非の筆に非ずとなす。初見秦の文は戰國策秦策に載せたる張儀の建言と、大同小異なるも、文中には張儀以後の事實あれば、果して同人の筆なるや明かならず。故に或は曰く、是れ韓非が先づ秦王の歡心を得んが爲に上りたる者にして、存韓に於て、始めて其の眞意を發揮したるものなりと。之を要するに此二篇は趣旨に於て矛盾し、且つ篇末に「詔以二韓客之所レ上書一云云」の敍事ありて、李斯が之に對する駁論をも併載せし者なれば、後人の補綴に出でたること明かなり。又忠孝篇は老子一派の説を駁撃して、韓非子の持論と相合せず、人主篇は韓非子の諸篇を割裂補綴し、飭令篇は商子[#挿絵]令篇と同じ、故に全篇中信ずべき者は五十篇なり。本書は始めて宋の乾道元年に於て刻せられたる者を善本となす、元の何※[#「…

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