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思ひ出した事(松竹座)
おもいだしたこと(しょうちくざ)
作品ID52740
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房
2002(平成14)年3月24日
初出「新演藝 第九巻第七号(七月号)」玄文社、1924(大正13)年7月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-21 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 芝居を見るのは、何年振りのことだ。然も自ら切符を買ふこともせず、加けに文章を書く目的で芝居へ来るなんて、まつたく始めての経験だ。
 だから私は、眼を皿のやうにして、凝つと「芝居」を見たことだつた。行儀の悪い私はあんなにジツとして芝居を見た覚えは皆無のことだ。何だか私自身が、突然役者になつて無理矢理に舞台の上におし出されたやうな感もした。誇張して云へば――。
 さういふ私だつたから、その私の芝居、見方はたしかに遠慮深く、寧ろ愚かしい謙遜に囚はれてゐたに相違ない。――だが不幸なことには芝居は面白くなかつた。何としても面白くなかつた。馬鹿/\しくて仕様がなかつた。この次の幕は? この次の幕は? さう思ひながら私は昼から到々夜の部の大詰まで見通してしまつた。
 あまり面白くないので、その熱心な観劇の途中で、不図私は斯んな気を起した。――
「此方が何か不自然な心持で見てゐるだらうか。私に批評を求めてゐるわけでもないのだ。感想がなければ、強ひて書く必要もないんだらう。……馬鹿な! そんなに尤もらしい顔をして見てゐるなんて! 笑はれるぞ! この若年なドンキホーテ奴!」
 と我と自らを嘲つて見た。そして一寸気分を改めた筈で――(それがまたおそらく私をして反省の及ばぬ変な観劇者にならしめたのだつたかも知れない。何としても救はれぬ一人の見物人である。高い処からは相変らず「喜多村ツ!」「伊井ツ!」などゝいふ声もかゝり、見渡せばそこの見物席には涙も、笑ひも感嘆の色も相当漂ふてゐるのに――。私はさういふ一人であるべき筈だ。さういふ一人として見た感想でいゝんだ。)――それで、学生時分学校をすつぽかして、他に行く処もないので、高田実だの、喜多村緑郎だの、井上正夫だのを、脚本なんては何でも関はない、それらの人々の容貌を眺め、音声を耳にするだけの目的でやつて来た頃の無智なる不良学生に、自らを返らせようと計つたのである。
 そして見ると、――あゝ、あれは藤井六輔だな、丸菊主人藤兵衛、藤井の生地で出て来たところが、丸菊主人はいゝが二役運転手斎藤金之助は、どうも運転手ぢやない。御者だ。(尤も運転手の藤井は大詰のところで一寸見たゞけ始めの方は見なかつたが。――昔は御者だつたが馬車がすたり、自働車になり、伯爵家の好意で運転手に商買換へをしたキカイの修繕は極不得意の運転手だらう。)
 ――おゝ、福島清も出て来る、相変らず石地蔵が歩き出したやうにヒヨコ/\と可愛気な足取りで、口を一文字にして、雙燕堂村瀬清次郎にならうと、魚屋惣助にならうと、福島は福島であのギコチない可愛味で通つてゐる――瀬戸日出夫……おやどうも記憶のある顔だと思つた。いつかもう年頃の娘になんて成つてゐるので一寸見違へさせられた、お転婆の不良少女になつて、仲々際どい音声をふりしぼつてゐる。何年か前本郷座で「日本橋」の時、果物屋の店先、小織…

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