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貧しき文学的経験(文壇へ出るまで)
まずしきぶんがくてきけいけん(ぶんだんへでるまで)
作品ID52746
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房
2002(平成14)年3月24日
初出「文章倶楽部 第十巻第六号(六月号)」新潮社、1925(大正14)年6月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-25 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一)同人雑誌「十三人」

 大正八年の秋頃、今実業之日本社に居る、たしか浅原六朗君から、今度、今年学校を出た連中のうちで、同人雑誌を発行することに決つたから、君も加はらないか、と誘はれた。下村と君しか僕は知らないんだから変だな、と私はたしか言つたのである。まつたく私は早稲田時分その二人しか自分のクラスでは話した者はなかつたのだ。それも、私は何時も後の方の席に坐つて居て、彼等も多分その近所に居たので、学校で時々顔を合はせるだけだつた。私の当時の友達は、当時私より一級下の鈴木十郎と、一級上の柏村次郎だけだつた。その二人とは随分親密に往来した。柏村はその時分からゲーテに没頭しはじめて、今独逸に留学中である。鈴木は読売新聞に勤めて居る。学校時分に一等懐しいのは、そして今も同じ文学的友達は、恐らくその二人だけだらう。――で、私は浅原から同人雑誌に誘はれた時すぐに返事は出来なかつた。そんなことを始めるのなら柏村や鈴木と行動を共にするのが当然だつた。だが、柏村と鈴木は直接には交友はなく、各々別々の周囲を持つて居た。ともかく私は二人にそれ/″\相談したのである。実際でもその前に彼等と一緒に雑誌をはじめやうといふ話はあつたんだが、しかも私が多分言ひ出したのだつたかも知れない。それなりになつて居たんだ。柏村はやはり同期の友達がやつて居る「基調」といふ同人になつて居たし、鈴木もその後「象徴」といふのに加はつたし、その年々によつてそんな風に各々同人雑誌を発行するといふやうな風潮もあつたのかな?
 私は本当なら柏村の方に這入るべきなんだが、原級生の悲運だつた。
 大正八年の同人雑誌は、つまり私がそこで加はつた「十三人」なのである。同人の数が十三人居たのでさうつけたのださうだ。初めての集りに行つたのは、どこだつたか忘れたが、行つてみると皆んな顔にはよく見覚えのある人達ばかりだつた。近藤、坂本、柏、野村、武藤、松村、高辻等の諸君だつた。

(二)処女作――交友――その他

「十三人」の第二号に「爪」といふ旧作を出した。それは一二年前に書いた短篇なのだが、処女作といふわけでもない。十三人の一周年号に出した「闘戦勝仏」といふ西遊記から材を取つたものが、処女作だらう。「爪」は発表後も藤村先生が手紙で賞めてくれた。その後私は初めて飯倉のお宅で先生にお目にかゝつた。発表しない前、それは原稿で柏村と鈴木にも読んで貰つた。それから三月号に「ランプの明滅」といふ小品を書いた。誰かから、「早稲田文学」で宮島新三郎氏が賞めて居たといふことを聞いて、嬉しく思つたことがある。島崎先生が、新小説で新進作家号を出すから何か書いて見ないかといふことを伝へられ、私は、「凸面鏡」といふ十五六枚のものを出して貰つた。これは、へんに固くなつて、活字になつて読んだ時ゾツとした。止せばよかつたと思つた。後年、中戸川吉二と知るに…

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