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五月のはじめ
ごがつのはじめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「新潮 第二十四巻第六号(六月号)」新潮社、1927(昭和2)年6月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-21 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一日晴 明方五時、時計は壊れてゐるが、空や影や光の具合で大概見当がつく、――売薬嗜眠剤の悪夢に倦きたので旬日の禁を犯して洋酒を摂る。漸くにして陶然たる頃、窓方の明るみも亦仄かとなる。水眼鏡の眼を視開いて水底をさ迷はん夏の日のことを思ふ。B兄妹に起される、途上にて出遇ひたるといふ余の母の言伝を寄す――生母の病気見舞に二旬以来滞京中のS女(妻)は明夕帰宅の由。N女(Bの令妹)を徒歩にて帰らしめBの側車に搭乗して病院へ送らる。日毎これをもつて送迎を得ば幸甚なりと云へばBは苦笑して答へず。酒を飲用せることを一切口にせず。
 夜「クリトン」を再読する。既にして冒頭の数頁を暗誦してゐるのに気づいた。(理由はないのだが大分前から自分で選んで自分で本を買ふといふ習慣を忘れてゐる。自分は彼女に頼みもしなければ口にもしないのだが妻は時々自身の為に買つたのであらう本を私の机辺に置いて行く。そのやうにして溜つた本が二十冊近くある、今私は他に一冊の本も持つてゐない。)未だ「プラトン対話篇」を翻読したのみなれど、嗜眠剤などを滅多に服用せぬ吾身にはその効めが不気味に顕著なるが如く、稀の読書が又いちいち胸を感激させること夥しい。未読の書を瞥見する毎に異様な圧迫を覚えてならない。S女は東京からもう二度も本を送つて寄越してゐる。自分の無智を嘆きながらに彼女の多読を別に感心しないのは何故かなどゝ思ふ。実際彼女等の和洋古今の書に渉つての乱読には舌を巻く。
 余は俳優のやうに思はず声色してクリトンを読んだ。久保勉、阿部次郎両氏の名共訳に感謝した。非常に疲れた。
 二日晴 病院の帰りに母の方へ廻る。母はH(余の一子)を伴れてS女を迎へに停車場へ行く。九時五分まで待ち疲れて戻る。東京の母が悪いのではないかと母が案じる。
 三日雨 夜九時半まで待つてS女が帰らないので終列車で余が出向くことにした。朝からの吹き降りが夕暮時から小雨に変る。S女は翌日帰るといふ電報を打つたといふ。義母には変りなし。余徹宵枕辺に侍し四方山の話をなす。どうせ眠れないんだからと云つたら病人が笑つた。
 四日晴 汽車にて居眠りしながらS女と共に帰る。停車場で別れて病院へ廻る。
 五日晴 怖ろしい音が屋根に響いたので思はず眼を醒す、ワイ/\といふ声がするので窓から首を出して眺めると眼下の雑貸屋のトタン屋根にダルマ凧がおちたのだ、此処の屋根におちたのかと聞き違へたが左様ではなかつた、多数の人々が長竿や梯子を持つていつまでも騒いでゐた。珍らしく午頃病院へ行く。Bの処に寄つて帰りがけに母の方へ廻ると母とS女とは晩飯だつた。二人の前には盃があつた。Bが嫁と姑とが何とかだと云つて笑つた。自分だけ白々しく十時頃に其処を去る。
 六日晴 午頃起きて、これを書きはぢめる。外にはブン/\と凧のうなりが凄まじい。昨日までに送る筈だつたので慌てゝ書く。夕方…

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