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朝居の話
あさいのはなし
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「文藝春秋 第八巻第四号(四月特別号)」文藝春秋社、1930(昭和5)年4月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-17 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 去年の十二月のはぢめ頃だつた。
 あたゝかく、風のない朝、十時時分、僕は蜜柑山の芝のスロウプに腰かけて、海を眺めてゐると、絵かきの朝居閑太郎が、僕の妻に案内されて、僕の前に立ち、情熱のこもつた息苦し気な調子で、そして対者に遠慮する微笑を浮べて「エカキが――」と云つた。続く言葉は解つてゐるのだが、息せき切つて駆けつけた伝令兵のやうに声が出ないといふ風なのである。そして、漸く発言した。……「エカキが長い間絵具を持たぬと、キチガヒになるとかと……」
 僕は閑太郎の眼を見て点頭き「閑太郎――」と唸り……そして妻に、吾々を得意とする町の文房具店に命じて閑太郎が望むがまゝの上等絵具をとつて呉れ――と云ふと、妻は、僕の肩からガウンを脱ぎとり、それにくるまり、何時も僕がするやうに、下のキヤベツ畑まで、「橇滑り」で滑り降り、村長の家へ電話をかけに行つた。
「それは好いね。」
 閑太郎は僕の姿を眺めて云つた。僕は、無性から、ドテラの代りに使つてゐるアメリカ、インヂアンのガウンを、村だから関はず内でも外でも着続け、帽子はあの鳥の羽根のついた冠りなのだが、
「僕も欲しい――」
「未だ、あるからやらう。」
「青森から着いたのだ、今朝――」
「いつかの夏、君を海で知つた時の……」
「うむ、あれから、今迄これツきりの格構で……」
「三年前の夏だつたかね。」
「あの時新しかつたこの洋服は斯んなボロになり、靴は、斯んなになり――」
「ずつと勉強してゐたんだね、僕もずつと勉強を続け……」
「皆は読み――知つてゐる、でもそんな着物があれば寒くはなからう?」
「寒くはない、その上、いろ/\とこれは便利だよ。こちらに居る間、これを着て、折角やりかけた画を続け給へ。」
 閑太郎はポケツトからホワイト絵具を二本つかみ出し、弄んでゐる。「ポケツトにはこれ以外に……」
「ベリイ・ブライトだ。閑太郎、君は純粋な絵かきだ。……ピユア・イン・ホワイトネス! ピユア・イン・ホワイトネス!」と僕が歓喜の声をあげると、閑太郎は、蜜柑の樹の方へ駆けて、実をもぎとり、僕に投げ、僕が次々にうまく受けとり、持ちきれなくなつて、ストツプと合図すると、閑太郎は再び僕の傍らに来て立ち、陽の渦巻のなかで果物を食べながら「シユウル・レアリズム」「文明と原始生活」の話をしたり、君は今何を読んでゐると訊くから僕は「プラトン学校からアリストテレスの建築部に入り、スヰフト教授の航空学をきいてゐる――」などゝ答へ、
「君は?」と訊ね返すと、閑太郎は足許のホワイト絵具を眺めながら、
「絵、絵、絵、絵、絵、絵、絵、絵!」と口ごもつてゐる。震へた。鬼のやうな眼をした。化物のやうに口をあいた。舌を現し、ヨダレを出し、笑ひ、自分の拳で、自分の頭をコキンと殴り、妙な踊りををどり、空を蹴る(破れ靴が虹のやうに飛んで、眼の下の川に落ちた。)上着を脱ぎズボンを棄…

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