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彼に就いての挿話
かれについいてのそうわ
作品ID52795
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「新潮 第二十八巻第一号(新年特大号)」新潮社、1931(昭和6)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-13 / 2016-05-09
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 井伏鱒二の作と人。
 斯の題を得て私は、一昨夜彼のこれまでの作品――主として「鯉」から「シグレ島叙景」まで幾篇かの傑作佳作に就いて感ずるところを誌して見た。そして、また、昨夜は、それを書き続ける前に――と思つて、彼の単行本「夜ふけと梅の花」及び「なつかしき現実」の二部を取りあげて読みはじめたところが、凡て雑誌に発表された当時読んだものばかりでありながら、更に感興を強ひられること切りで、とう/\通読してしまひ、感想の続きを書く余裕を失うてしまつた。
 そして今夜、再び前々夜の稿を続けるべく机に向ひ、四五枚の書いてある部分を閲読して見ると、それらの文字は悉く推賞感嘆の声に充たされてゐた。私は、これまで、文に、口に、あらゆる場合に、それらの作品に就いての推賞の言葉を惜まぬ者であつたが、これも亦それの執拗なる繰り返しの言葉のみを見たのである。賞める場合に就いては、何んなくどさも私はテレぬ者であるが、既に発表したことのある賞揚の言葉と似通うたものを幾度か繰り返して公言するのは、何うか? と気づいたので、此度は、その人物に就いての断片的な印象風のことを主に誌して見ようと考へ直した。
 それにしても彼の作品「鯉」「シグレ島叙景」をはじめとして、「谷間」といひ、または「朽助のゐる谷間」「談判」「山椒魚」「埋憂記」「尾根の上のサワン」「一ぴきの蜜蜂」その他幾篇かの「挿話・小品」などは、何れも不滅の名作であることは、私が云ふまでもなく大方の読者が既に認めてゐる事実である。その奇想の澄明、その繊細巧致を極めたる諧謔味、その霊麗なる純樸味、その他の滋味、光沢の豊かなるおもむきは、古今の東西を通じて独特なる妙境の持主であることは否めない。
 彼は未だ文を発表しはじめて僅に二年位ひの年月しか経つてゐないが、このまま彼が創作の筆を擲つて、社会学の闘士になり、或ひは画壇の人になり移つてしまつたとしても、以上の作品は日を経れば経るほど奇体な光りを放ちながら多くの読書子の渇を医す作品として文壇の空に輝き続ける逸品であらう。
 が、彼は小説作家以外の者には凡そ、なれぬ者であることは、その作物を見ても明らかなことである。僅かな歳月の間に、斯程までに完成された作品を次々と発表し得た彼が、この先とも専念の精進を続けて独自の境地を開拓して行くことを想像すると、私は愉快なる生甲斐を覚え、楽天観を助長せしめられる所以である。私は、作家としての彼の将来を飽くまでも期待する。
 彼は、小説より他に何も出来ない馬鹿かと私は思つてゐたところ、大分前の話であるが、散歩の途中で、不図話が画のことに移つた時――自分は作画の方ならば小説よりも寧ろ自信がある――と声を大きくして呟いた。私は、彼に画才のあるであらうことは常々その文章の筆致などから想像もし、また、私の眼前で作成した楽焼なども貰つたこともあるので一応は点頭いたが…

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