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なつかしき挿話
なつかしきそうわ
作品ID52798
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「春陽堂月報 第四十七号」春陽堂、1931(昭和6)年4月15日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-30 / 2016-05-09
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 震災後、未だ雑誌「新演芸」が花やかであつた頃、作家の見たる芝居の印象――といふやうな欄があつて、僕も二三度此処に登場したことがある。そして、そのうちの二つが吉井勇作の芝居であつたことを憶へてゐる。一つは「魔笛」と題する――これは新聞であらう、長篇小説を別に芝居として仕直されたものだつた。僕はその時の印象を外国に留学してゐる友達へ宛てた手紙体として書き綴つたことを憶へてゐる。
「魔笛」の筋は回想出来ぬのであるがたしか、その中の人物に、学生時代から大変に親しかつたA、Bの二人物があつて、二人は学校を出るとAは富有な親の遺産を享け継ぎ、Bは飄然として満蒙方面へ姿をかくしてしまふといふやうな状態に変るのであつた。その間幾年経過――Aは、様々な家庭上の破乱に災されて何時の間にかゝら、放蕩飲酒の徒と変じて、遣瀬なく無頼の日を送つてゐた。そのうち満蒙の長い放浪から帰つて来たBと、無頼のAがはからずも途上で出遇ふのであつた。Bは(人物の名前を忘却した。)恰も荒尾譲介(配役伊井蓉峰)の再現であるかのやうな意気と熱と感慨に打たれながら、Aの昔に変つた姿を眺めて悲憤の涙をこぼすのであつた。
 で、その一場面に就いてだけのことなのであるが、僕は、外国にゐる友達に宛てゝ、そのやうな芝居を見ながら、自分は不図、君が近々帰朝して僕等は相見るであらうが自分の身の上には何の変つたこともない――おそらく君の上も、外国へ行つて来たといふ以外には何の変つたこともないであらう。僕は何か生活の変化を望んで止まない。何んなに君に悲憤の涙をこぼさせる類ひのものであつても関はないから――と同時に僕がまた君に激して亢奮の熱をあげるであらう類ひのことが君の上に起るであれば好いが――といふやうなことを考へた――などゝいふことを誌したのである。それは、僕達が学生時分から、互ひの上に恋愛の幸福が訪れることを望み合ふ! といふやうなことを屡々云ひ合つてゐるからで、これほど別れてゐた間に此方は相変らず平凡な孤独であるが、そちらは何か酔ふべき幸福に恵まれてゐるであらうか? そんなことを訊ねるといふほどの意味でゝもあつたのだ。――一寸余談にわたるが、僕の友は幸福な恋に酔ひながら金髪の恋人の腕をとつて意気揚々と帰朝して、僕に羨望の熱を挙げしめた。
 嗚呼、然し僕の友は間もなく、突然死に見舞はれた、――嗚呼、僕の最も親しい友達は――。
 彼は、何時までも僕にとつては忘れ得ぬ友である。この友達を思ひ出す時僕は、稍ともすると、あのやうな魔笛に就いてのエピソードを回想するのである。これは、小説である故、この集には収められてゐないかも知れないが、僕には特別の思ひ出があるまゝに勝手ながら斯んなことを書き誌した。
 二度目の時の芝居は「小しんと焉馬」であつた。これは本集に入つてゐるだらうと思ふ。吉井氏の戯曲中の傑作中の一つであらう。僕は、…

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