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卓上演説
たくじょうえんぜつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「作品 第二巻第八号(八月号)」作品社、1931(昭和6)年8月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-28 / 2016-05-09
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 おゝ皆さん、今宵、この真夏の夜の夢の、いとも花やかなる私達の円卓子にお集りになつた学識に富み夢に恵まれ、且つまたゲルマン系の「冒険の歌」より他に歌らしい歌も弁へぬ南方の蛮人(私)を指命して一場の演説を所望なさるゝといふ最も趣味拡き紳士よ、淑女よ、私は立ち上りました、私はマルテン・ルーテルの祈りを口吟みながら立ち上りました――。「余は万事に就いて訂正を望まぬ、不可能なればなり、良心に逆ふは賢明でなくして危険なればなり、余は此処に立つてゐる、他は不可能なるが故に――。神よ、あはれみたまへ、アーメン。」――然して私は、このようにしどけなく酔つぱらつた威勢で立ち上つたのであります。が、てれ臭くつて弱つた、だつて俺は斯んな席上で、こんなに改まつてスピーチなんてさせられるのは全く、はぢめての出来事なんだもの!
 さて諸君、私は今日この会に出席しようとして門を出る途端に、一通の手紙を配達されました。発信者を見ると、森雄一郎とあります。全々未知の人です。私は恰もE・A・ポーの「ユレーカ」を読んでゐるところのせゐか、あの中に出て来る壜の中の手紙を拾つたやうな夢に誘はれ封を切りました。これもまた物凄い長文で、全部を此処で朗読する予猶はありませんから、それはまたの機会に披瀝することにして、今日はその雄弁と奇想に満ちた彼自らが云ふところのパロオデイア(詩――比喩の歌? 諧謔詩とでも訳すのか知ら? 私の辞書には適当の訳語が見つからぬのだが!)を断片的に申し伝へようと思ひますが――。
「俺は読んだ、お前の友達の新著を――小林秀雄文芸評論を――」
 と森君は書き出した。
「馬鹿!」
 と彼は続けて私を罵つた。「お前は、あいつに――あいつの顔さへ見れば、小説は何うした? 書きはぢめた? 早く書け! などと云ふことばかりを追求してゐるさうだが、なんてまあお前といふ人は憐れな小説病患者なんだらう。お前は、口でばかり、ギリシヤが何うの、プラトンが何うのと大それたウワ言ばかり云つてゐるが……」
 それあ少々違ふぞ、森雄一郎よ――と私が横槍を突かうとするのも知らずに彼は僭越にも語を継いで、
「あいつは、この通り傑れた小説を書いてゐるではないか、文芸評論――といふ題名で――形式に囚はれるな、文字に拘泥するな――小説とも称べ、詩とも称べ、なんなら戯曲とも称べ、御自由だ。――これが、芝居となつて、登場人物が次々に、これらの項目の独白を、何れを問はず、演つたなら、俺は矢つ張り観に行くよ。芸術家の手に成つたあらゆる文章は……」
 と森君は、大分破目を脱した激情で、喰つてかゝるのですが、後に彼は、ルネ・デカルトの「激情論」の愛読者と述べてゐるにも関はらず、自分こそ稍とり乱れた感情に走つてゐるのではないでせうか?
「一六三五年に書かれた俺の先生の(方法通説)の原題は(理性を正しく導き、学問に於て真理を探究せんが…

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