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満里子のこと
まりこのこと
作品ID52803
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「婦人サロン 第三巻第十二号(十二月号)」文藝春秋社、1931(昭和6)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-19 / 2016-05-09
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 苗字は省きますが満里子君は私の少数の女友達のうちで、数年以来変らぬ親愛と信頼とを惜みなく持ち続けてゐる可憐で快活な人です。満里子君も亦私に対して満腔の尊敬と敬愛とを捧げてゐます。つい此間満里子君は私の、これも亦満里子君同様に、私は親愛を、彼は敬愛を互ひに譲り合つた験しもないといふいとも円満な交遊を持ち続けてゐる私の年下の友達のR君と華燭の典を挙げました。
 そのお祝ひの卓子で、私は二人の喜びを胸一杯に享け入れて目出度い盃を挙げながら――うつら/\と、おゝ、それは二年ばかり前の春の時分であつたかな! などゝ、その頃の私達の楽しかつた生活の一端を思ひ出しました。
 その頃私達は海辺の村の、窓から海原を見晴せる小さな西洋館に合宿して、勉強と運動とに没頭して居りました。そこに、東京から、その頃未だ文科大学生であつたRが私の作品を慕つて遥々と訪れ、間もなく私達の合宿生活の一員に加はることになりました。私達は晴れた朝夕は、そろつてシヤツ一枚になつて浜辺へ降り立つては諸種の運動に吾を忘れて身神の鍛練に余念ありませんでしたところ、或頃から満里子君は、赤と白の旗を持つて言葉を描く信号体操といふものをはぢめました。私は、それに余り興味を覚へませんでしたので仲間に加はりませんでしたが満里子やRは非常に、これに熱心となつて暇さへあれば、私の窓から真正面に当る防波堤に出て、海へ向つて(私の方を背にして)体操の練習に余念がありません。私は窓側にRと机を並べて、毎日/\午から夕方まで語学の研究に耽つてゐましたが、いつも私が運動に出ない先に満里子か、Rの、どちらかのひとりが堤の上に現れて、切りと体操の練習をはぢめるのでした。
 私は彼等が其処に現れて体操をはぢめると、つい、そつちばかりに気をとられて(殊に水兵服の満里子の颯爽たる姿を眼にすると――)勉強の方が留守になるので、稍迷惑さうに、どうして僕達の目の先でばかり運動するのだ、砂地に降りるか、でなければもつと人家の見へぬ方へ行つた方が虚心になれさうなものなのに! といふやうなことをなぢると、不図満里子君は顔をあからめて、
「マストの上に立つたつもりにならなければいけないんですもの、そして何処かに見てゐる人を感じながらでないと、気分が出ないのよ。」
 と云ふのです。それも尤もなのだらう――と私は思ひましたので、それ以上追求もしませんでしたが。――それからも、相変らず彼等の信号体操は続きました。それが、Rが現れると満里子は部屋にゐるし、また今度は水兵の白服の満里子君の番になると、Rは私の部屋に居るのです。ちよつと、もう一度その故を私は訊ねて見たい気もしましたが、それも規則の一つだらうと気づいて控えました。――然し仲々、これは佳き運動らしい、第一、青空の下、紺碧の海原へ向つて、縦横に風を切りながら旗を打ち振る旗手の胸の爽やかさを想像すれば、私…

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