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大音寺君!
だいおんじくん!
作品ID52808
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「モダン日本 通巻二十一号(六月野球号)」文藝春秋社、1932(昭和7)年6月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-16 / 2016-05-09
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いつも僕は野球の期節になると何よりも先に屹度大音寺君のことを思ひ出す。早稲田の岸、谷口、加藤等の頃だつたから今から十余年も前のことだ。僕は余り教室へ出ることを好まない文科の学生で、いつも独り法師で、大してフアンといふ程の者でもなかつたのだが、天気が好いと運動場へ来てぼんやりと、選手の練習を何時迄でも見物してゐるのが慣ひであつた。
 その日も僕はガランとしたスタンドで、当時「逆モウシヨン」とかいふ業で問題を起してゐた谷口投手の練習振りなどを眺めてゐると、いつの間に僕の傍らに現れたのか気づきもしなかつたのだが、一人の見るからに逞ましい図体の鬚武者の学生がむしや/\と弁当の飯を頬張りながら(妙なことを僕ははつきりと覚へてゐるのだが、彼の弁当は大きな握飯で左手に竹皮包みを載せ、懐ろは書物ではち切れるようであつた――)、
「おい君、君は何科だ。」と憤つた様な調子で言葉を掛けた。彼は時折り選手に向つて非常な大声で声援を送つてゐたのを僕はさつきから気づいてゐたのだが、僕は余り白々しい顔で見物してゐたので何か非難でもされるのぢやないかしらと思つたのだ。
「俺は政経二年の大音寺虎雄つてんだが……」「俺か?」と僕も負けん気で、俺! と云つてやつた。「俺は文科一年だ。」
「ふゝん、文科だつて! 文料の野球フアンなんて珍らしいな。」
 と彼は苦笑ひした、全くその頃はそんな風潮だつたらしい。で大音寺が徐ろに云ひ出すところを聞いて見ると、彼は「正義団」といふものの一員で、且又応援団の理事であつて、対一高戦が迫つた折から応援団員を物色中であるのだが、君は余程のフアンと見た、打ち見たところ稍はにかみ屋であるらしいが母校の為に団員に加はらないかと進めるのであつた。まあ一つ喰はんかと握り飯を差し出すので、僕も喰ひながら「うむ、入つても好い。」と答へた。
 やがて選手も引きあげて目白台のあたりに夕靄が降り初めた時分になつて僕は大音寺の指導に従つて声量の試験をされた。彼の模範に従つて、僕があらん限りの声で「ワァセェダァ!」と喚くと彼は厳格な表情で、
「体に似合はぬ立派な声だ。吾党の士として大いに頼もしいぞ。」と云つて肩を叩いた。
 その後引きつゞき僕は団長としての彼を尊敬し、熱烈なる部下となつたが、一度「君の大音寺虎雄といふ名前はほんとうの名前か、団長としての仇名ぢやないのか。」と訊ねたら彼は「失敬なことを云ふな、親から貰つたほんとうの名前だよ。」と、真に得意さうに、虎のやうに唸つた。彼は鹿児島の産で、去年の春だつたか、手紙を寄せて、リイグ戦が初まつても見物に行かれぬのは残念だが、ラヂオの前で思はず大声を挙げたりしてゐるよ、吾輩はこの頃故郷の村で体操の教師を務めてゐる為か、あの頃よりも大きな声が出るぜ――などゝ書いて寄した。僕も早慶戦を観に行く毎に、早稲田の応援団の中に大音寺虎雄の応援振りを空想…

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