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嘆きの谷で拾つた懐疑の花びら
なげきのたにでひろったかいぎのはなびら
作品ID52812
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「新潮 第二十九巻第十二号(十二月号)」新潮社、1932(昭和7)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-12 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日記といふものを、逆に時日を遡つて誌さうとしたら、映画のヒルムを逆に回転するやうな混乱に陥るだらうか――今朝、こんなことを考へながら、墓地に隣る生垣の傍らで書きかけの原稿を焼いてゐた。霧が深かつた。ちよつとは思ひ出せない程幾晩も徹夜を続けた後の混乱の頭が司る覇気だ。断じて披瀝を怕れる自尊心ではない。悪の面をかむつた悲惨な姿が、虚空をつかんで後ろへ向つて駆けて行く。「喜劇は普通の人よりもより悪しき人々を模倣せるものなり、されどそれは凡ての悪に関してより更に極悪であるには非ずして単に一個の特殊な悪に関する謂なり、即ち単に笑ひに関するのみの謂にして笑ひは事実醜きものゝ一分派なり、笑ふべきものとは他人に何等の痛痒も害毒をも与へぬ底の過失或ひは醜さであるならん、例へば吾等の笑ひを誘ふ一個の仮面を想ひても見給へ、斯る仮面の形相は概ね醜く歪みたるものなれども、吾等にいさゝかの苦痛をも誘はぬは事実ならん。」私は有り難い古人のお経をそらんじて、立ち昇る煙りの中で忍術家のやうに瞑目をしてゐると不図、
「親愛なる友よ、御存じかね?」
 と直ぐの眼の前で九官鳥のやうな声が響いたので驚いて、見ると、こんな早朝に、もう綺麗な身終ひをしたRさんが、私の脚元から拾ひあげた手帳を朗読したのだ。Rさんはクレテ島の沐浴婦に擬すべき美人で、かね/″\私は尊敬の念を抱いてゐたが、惜しみてもあまりあることには、その音声が九官に酷似して、私を悲しませた。
「形而上学者達が、真理へ通ずる実際的の道は二つより他にはないといふ奇天烈な思想から人々を開放しようと試みて始めて意見の一致をみて以来、僅かにそれは八九百年の星霜を閲したに過ぎない。ところが君よ、昔も昔、大昔、星霜の帷の闇の底深く、処は土耳古の片田舎、名をアリスと称ばれ、字名をトオトルと差されし一哲学者があつた。(多分これはアリストオトルの謂であらうが、あの偉大なる哲学者の名前か、二三千年の時を経たゞけで、何とまあ滑稽に取り違へられたものぢやありませんかね!)彼の名声は、そもそも嚏といふものは、自然の賢明なる配心であつて、実にも深刻なる多くの思想家はこれに依つて彼等の思想上の阿堵物を鼻腔から追放することが可能であるといふことを証明した権威の故に基くのである。而して彼は、所謂、演繹法、或は先験哲学の創始者として……」(これはE・P、ユレカの一節也)
 九官の声は続いて「アリスは向ふところ敵なくホツグの出現まで栄えた。彼は字名をイトリツクの羊飼ひと称ばれて、帰納法或は経験哲学に反するシステムを説き、論を進めるに事物の解剖と観察の分類を事と選んだ。奴の説が発表されるや天下は挙げて賛同し、終にアリスは敗北の憂目に陥つた。然しアリスもさるもの、やをら奮起一番、剣を払つて新来の敵と鉾を交へれば、こゝに忽ち哲学王国は黒雲をはらんで、竜虎の爪に二分されようとする震天動…

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