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〔婦人手紙範例文〕
〔ふじんてがみはんれいぶん〕
作品ID52820
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出転地してゐる義妹へ、失恋した友を慰める、遊学中の婚約者を励ます「別冊附録 婦人手紙文全集」大日本雄辯会講談社、1933(昭和8)年8月1日、花びらを封じて(女学生より友へ)「別冊附録 婦人手紙文全集」大日本雄辯会講談社、1935(昭和10)年2月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-16 / 2014-09-16
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

転地してゐる義妹へ

 何や彼やと毎日のことばかりに追はれて、ついついお手紙さへも書きおくれて居りましたこと、どうぞおゆるし下さい。でも、貴女の御容体が日増に御快方に向いてゐる由をうかゞつて安心いたしました。この分なら、私達がそちらへうかゞへる頃までには、すつかりお丈夫になるだらうなどと考へて、あれこれと楽しい空想にばかり耽つて居ます。水着や浮袋やサンド・パラソルを本日お送りいたしておきました。水着は三枚いれました。その中から貴女のお気に召したのを選んで置いて下さい。浮袋は勿論私だけの必要品ですわ、今年こそは貴女にクロールを教へて戴かなければなりません――屹度、屹度それまでには爽々しい水着姿の貴女の御様子を拝見出来るものと祈つて、そんなものをとりそろへたのです。楽しい空想ほど心を躍らせるものはありません。いゝえ、もう空想だけで充分で、ほんたうは海へなんて入りたくはありませんの。貴女の健やかなお姿を夢見る私の心のおしるしなんですもの。庭の片隅にでも、そのパラソルを立てゝ、お話でも出来ればそれで充分ですわ。
 来月に入ると間もなく兄様は一週間の休暇がとれるさうで、そしたら直ぐに皆なでそろつて出かけることに決めて居るのですけれど、兄様つたら病気なんぞになつた百合子を大いに羨やませてやらうなんて云つてゐるんですよ。
「羨んだりするものですか。」
 と私はおこつてやりました。「この手紙を御覧なさいよ、こんな元気になつてゐるんですもの、あべこべに私達が羨ませられるぐらゐのものですわ」つて。
 左う云つてこの間の貴女のお手紙を兄様に見せてあげたのよ。すると兄様は、それを読みながら噴き出して、
「やあ、こいつはとても敵ひさうもないぞ!」ですつて――。だつて貴女は学校では百メートルのチヤムピオンだつたんですものね。浮袋がなければ水のなかへ入れないなんて人、ずゐぶん滑稽でせう。
 だけど、まあ泳ぐはなしなんてみんな冗談ですわ。それよりも凝つと辛棒なすつて、御養生のみを心から祈りますわ。
 今朝戴いたお端書ですと、召し上がるものも追々おいしくなつて来たとの由ですから、もう油断さへ為さらなければほどなく御快癒になれますわね。それにしても、何事に限らず、もう一息といふところが最も大切です。容態が思はしくない間は、誰れしも警戒しますが、少し快くなるとついお調子に乗つて瑣細なことを等閑にして、そのために飛んだ失敗を引きおこし易いものです。百合子さんも御気分がよくなるにつれて、いろいろ為さりたい事も多いと存じますが、なるべく我慢して充分御注意なさつて下さい。
 海のシーズンであたりが賑やかであればあるほど、徒然の毎日を送つていらつしやる百合子さんはお淋しいことゝお察しいたして居ります。何かお話し申し上げるやうな面白いことは無いかしら――と、兄様とも相談して共々毎日話柄の探索に努めてゐるので…

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