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交遊記
こうゆうき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「新潮 第三十二巻第一号(新年特大号)」新潮社、1935(昭和10)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-08 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 そのころも手帳に日記をつけてゐた。学生時分からの友達は鈴木十郎と柏村次郎だつた。大正九年のころ、時事新報の雑誌部に勤めてゐた。鈴木の義兄にあたる巌谷氏の恩顧だつた。鈴木とは子供の時からの友達で、僕が二年先に早稲田の文科に入り、受験生だつた彼を同じところへすゝめたのである。今でも彼は何うかすると、あの時お前が文科などへすゝめなければ俺は重役くらゐになつてゐるんだぞなどゝ云ふことがある。彼は、しかし、未だ僕が同人雑誌にも小説を書かぬ時分から、どんな片々でもを読まされて、耽念に批評した。自分は殆んど書かなかつたが、批評は非常に厳密で、大概の僕の作品は落第だつた。僕は破いては書きして、稀に辛うじて及第すると興奮した。柏村次郎とは有楽座で天勝のサロメを観てゐたのがはじめであつた。それから教室でも後ろの方にならんだが、僕は横浜の知合のアメリカ人のところでヴアヰオリンに熱中して学校を一年しくじつた。鈴木が未だ受験生のころで、僕は一層学校を止めようと思つたが、柏村と鈴木に忠告されて学校の近所に下宿した。同級には下村千秋や浅原六朗がゐて後に彼等と共に「十三人」といふ同人雑誌に加つた。柏村は長谷川浩三や吉田甲子太郎と「基調」、鈴木は浜野英二や故近衛直麿と「象徴」などを始めた。
「時事」は銀座の亀屋の横で南鍋町だつた。柏村は兵隊に行くので「中央美術社」を辞め、鈴木は学生で、私達は毎日のやうに「パウリスタ」や「プランタン」で落合つた。鈴木は飲まず、柏村と僕はぽつぽつと酒を覚えて長谷川や吉田を誘ひ出した。この二人は何故ともなしに僕を子供扱ひにして、憤らせては、笑つた。同社の文芸部に佐佐木茂索がゐて、僕は柏村から紹介された。僕の部は手持無沙汰の時間が多く、折を見ては文芸部へ出かけて佐佐木と銀座を歩いた、ウーロンやライオンで、久米正雄、広津和郎、田中純――これ等の人々に折々出遇つたが、いつも佐佐木茂索と一緒の時だけで、そのあたりを歩いた記憶もあるが、僕はまだ余程おとなしかつたと見える。「君は好くそんなに黙つて居られるな!」と広津和郎に感心されて「余は大いに赤面せり。」などゝ当時の日記に記してある。或日佐佐木からの電話で、中戸川吉二と新橋の東洋軒にゐるから来ないかと誘はれた。中戸川には短篇を一つ認められてゐたが未だ会つたことはなかつた。その夜三人はあちらこちらとはなし廻つて、遂ひに夜を明した。
 柏村はゲーテの研究でドイツへ留学し、鈴木と僕はつまらぬ誤解から仲違ひとなり僕は社を辞めて田舎へ去つた。地震の後まで三年もそのまゝだつた。その三年の間は、小田原で二度中戸川に、湯河原へ彼を訪ねて一度、熱海に住んでゐた僕を彼が一度、佐佐木に小田原を訪ねられて一度――それより他に誰にも会へなかつたことが、やはり日記で数へられる。急に友達のなくなつた田舎生活を紛らせるために次第に酒との仲が深かつた。国民…

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