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岬の春霞
みさきのはるがずみ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「東京日日新聞 第二一〇二四号~第二一〇二七号」東京日日新聞社、1935(昭和10)年2月13日~16日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-16 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 いつまでつゞくか、仮寝の宿――わたしは、そのとき横須賀に置いた家族から離れて湘南電車で二駅離れた海ふちの宿にゐた。東京からあそびに来てゐる若い友達のRと、文学と人生のはなしに耽つてゐると、飛行機の爆音が、屋根裏にとゞろいて、耳を聾し、はなし声を消して、ふたりは黙劇の人物のやうに、眼を視合せたり、上眼をつかつたりするだけだつた。
 窓に乗り出して、さかさまに見る海のやうな青空を、こつちも宙返りでも演じてゐる如きおもひで見あげると、三体の戦闘機の、けふもまた凄まじい演習だつた。銀色の翼が陽をうけて翻ると、金色に光つて、上を下へと、さながら三羽の金翅鳥が戯れてゐるかのやうなきらびやかな長閑さに見えた。白く煙つた碧い海原には、もはや春霞がたつて、観音崎の出鼻から現れたアメリカ航路の船が、その乗員たちも一勢に空の戦ひを見あげてゐるだらう、とおもはれるやうに鈍い船あしに見えた。島の向うに、台場のやうに浮んでゐるのは、航空母艦の赤城か、鳳翔なんだが、大概もう今では一見して、それと判別出来るほどになつてゐるのに、明る過ぎる陽炎にさへぎられて、かたちが定かに見えぬのであつた。わたしは、一両日中にRを案内して軍港見学の許可を乞ひ、鳥海、摩耶、愛宕その他を拝観する念願だつた。――艦隊は暮から冬へかけて一勢に碇を降し、街はいつも水兵の群で賑はつてゐた。
 横浜へRと活動を観に行つて、夜更けに宿へ曲る薄暗い露路にさしかゝると、水兵がひとり垣根の傍らに倒れて、うめき声をあげてゐるのが、月あかりに透かされた。そして、苦しい/\と唸るので、わたしは慌てゝ宿からサイダーをもらつて介抱すると、やがて泥酔の彼は、バネ仕掛のやうに飛びあがつて、不動の姿勢と同時に、厳めしい挙手の礼を保つのであつた。彼の両眼には涙が溜つてゐたが、いつまでも姿勢をくづさずに相手の顔を視詰めてゐるので、わたしは、困り、
「しつかり、歩け!」
 といひ棄てゝ立ち去つた。
「ハツ、気をつけるでありますツ!」
 彼は明確に応へたが、やがてわたしの後ろ姿が闇に消えると、歩調とれ! のやうな重い、しつかりした跫音が、わたしの耳に聞えた。わたしは露路に立つて、その跫音が聞えなくなるまで耳をそばだてゝゐたが、やがてそれは駆足に変つた。何か、わたしはもう、はつきりと春を感ずるのであつた。
「上官だと、おもつたんですよ。」
 Rは、わたしの口真似をした。わたしは、決して、わざとそんな口を利くわけではなかつたのだが、しつかりせんかツ! とか、おいツ、こらツ、酒に飲まれて何うなるものか! などゝ真似るRのいふことを聞くと、なるほど自分が変な奴! だと思はれ、帽子もかむつてゐなかつた五分刈あたまを撫でた。わたしは紺の海軍マントを著てゐた。

 翌晩、食膳を前にするとわたしはいつものやうに飲まうか止さうか、とそれは恰も哲学的な無限大と無限小の迷…

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