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城ヶ島の春
じょうがしまのはる
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「東京朝日新聞 第一七五七四号、第一七五七五号、第一七五七七号」東京朝日新聞社、1935(昭和10)年3月23日、24日、26日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-10 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 城ヶ島といふと、たゞちに北原白秋さんを連想する――といふより白秋さんから、わたしは城ヶ島を知り、恰度酒を飲みはじめた十何年か前のころ、わたしたちは酔ひさへすれば、城ヶ島の雨を合唱したものである。白秋さんが、三崎から小田原へ移つて何年か経ち、恰も、千鳥の唄をつくられて間もないころではなかつたらうか。
 わたしは白秋さんが、かなりながく住んでをられた小田原の天神山といふ明るい孟宗竹と芝の小山に営まれた木兎の家を、引上げられる一二年前に何か所用があつて東京からお訪ねしたのを初めに、わづかの間であつたが、どうもそれが悉く春の季節で、欲深和尚が筍を盗みに現れる影法師を、木兎の家の窓から朧月を透して見物したことや、おやまあ、こんなところにもツクシンボウの芽が出てゐるぞ、ほらまた、こゝにも――と水々しい朝あけの芝を、ゆうべの踊りをおもひ出す足どりで踏んでゐた白秋さんが、何か余程貴重なものでも発見したやうに驚嘆の声をもつて指さし、その度毎に空を仰いでわらはれてゐたのをいつも今ごろになつて、どこからともなく貝の音色を感ずるやうな微風に吹かれると、突拍子もなくおもひ出すのである。
 そのころ白秋さんの詩の一つに、凡そ二三歳であつた御子息が汽車遊びに耽つてゐらるゝ光景をうたはれたものゝなかに――たとへば御子息は玩具の汽車をおしながら、見渡す限りの何も彼も、ツクシンボウも木兎さんもお月さんも和尚さんも、そして父さんも母さんも……みんな、みんな、乗んの乗んの――と汽車の客となし、汽車は大層な汽笛の音も高らかに、ポツポ/\と驀進して行く素晴しさを、うたはれたものだつたとおもふが、たしかそのなかに、マキノさんも乗んの、乗んの――といふ一句があつたのである。四角張つてゐたかのやうな何処かの青年が、やがて海の上に月が出る時刻になると、忽ちマリオネツトのやうに酔つ払ひ、厭味な喉を振りしぼつて、ほろゝん、ほろゝんの唄などをうたひ出した容子が、鷹揚な機関手の眼に余程異様と映つたのであらう。
 ――わたしの、小田原にゐる友達の彫刻家である、何処か微かに白秋さんに似てゐるやうな牧雅雄君は、今でも陶然とする度毎には、おゝ、ほろゝん、ほろゝん、春はほうけて草葺の――といふ唄が名人で、わたしは、その唄のうたひ振りを余程以前から、彼に習つてゐたのであるが、牧君がうたふと何んな欲深な酔払ひでも、根生曲りの和尚さんでも、みんな思はず、ほろろん――として、丁字の花の香りに気づき、煙つた月を見あげずには居なかつたけれど、では小生が――とわたしがあとをつづけようとすると、そんな人は居る筈もないのであるが例へば単に修辞句としての恋人でさへもが、竦毛をふるつて夢から醒めるのが常習なのである。
 それはさうと、わたしは当今、不図した機会から、思ひも寄らぬ三崎の町に、たつたひとりで住むことゝなり、誰の竦毛を憂ふる心配もなく、…

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