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書斎を棄てゝ
しょさいをすてて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「中外商業新報 第一七七〇九号、第一七七一一号、第一七七一二号」1935(昭和10)年5月12日、14日、15日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-11-14 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 もうわたしは、余程久しい以前から定つた自分の部屋といふものを忘れて、まるで吟遊詩人のやうな日をおくつてゐることだ。ところがわたしは、かねがね憧れの夢のなかでは寝ても醒めても、そこはかとない放浪のおもひが逞しいにもかゝはらず、身をもつてそれからそれへ酔歩を移してゆくといふことには何うやら未だ雅量にも堪へられず、所詮は書斎裡のみの夢想家に過ぎないといふ感が今更ながら深いのである。そこで、今度は何処に何んな部屋を定めようかと、わたしはあちこちの宿屋の窓で月を仰ぎながらも、今また半島の先の小さな島の漁家の離室で波の音を耳にしながらも、これからの行手の旅を考へるよりも、一日もはやく東京へ戻つて何処かの一隅にきまつた住ひを定めて、もう此処は当分うごきたくないといふやうな、つまり生活上の平和を希ふ想ひばかりが強いのである。たまに東京へ出かけて友達を訪れても決つた机をもち、本棚にとりまかれ、明るいランプが燭り、もの慣れた召使ひが茶果を運んで来るやうな沁々とした落着き振りが何よりも羨ましかつた。わたしもこれまで幾度となく家を営み、机を構へたものゝ何か若気の至りとでもいふかのやうな夢と不安に追はれて転々幾度――鳥跡の霞を追ふが如くに遥なる想ひを酣くさうといふやうな、怕れから怕れへと踏み迷うたわけではあるが、そして、そのやうな想ひはますます胸のうちには猛々しくなるばかりであるが、所詮在りのまゝなるこの身はやはり動かぬ部屋のうちに落着けて、心象上の放浪に任すより他は長風万里の彼方に鳴る逸興の夢も怪しまれると弱つて来るのであつた。
 あたりはもう花時といふよりも青葉の香りが珊々と迫つてゐる。このあたりの花は、今年は時ならぬ霙や雨に妨げられて咲きおくれたといふものゝ、東京から見ると十日あまりも早いのが常例とのことである。油壺、浦賀、三崎、城ヶ島――とわたしは、まつたくのひとりで飲み歩き、早いか遅いかのいとまも知らず、どうやら花は何時咲いて、何時散つたのかも気づかなかつた。洛陽城東、桃李ノ花、飛ビ来リ飛ビ去リテ誰ガ家ニカ落ツ、行ユク落花ニ逢ヒテ長ク歎息ス――まつたくわたしはそんな詩のおもひで、少しばかりの酒にたちまち酔つた。
 油壺の水族館の砂浜で二日酔のあたまを醒しながら海を眺めてゐると、どこからともなく、非常にはつきりとした音声で、それは草津節といふのか、わたしは俚謡のことは何ひとつ知らないのであるが、実にもおもしろく長閑な哀調に富んだ節まはしで、えゝ、国ヲ出ル時ハ……何とかで、ドツコイシヨと合の手がはいる力一杯の歌が聞えて来るのであつた。まはりが崖であるためか、それがまた莫迦にはつきりと反響して、直ぐの耳の傍らで蓄音機が鳴つてゐる通りに響くのであつた。ゆうべ宿場端れの居酒屋で、花見帰りの漁師といつしよになつて、レコードの謡を聞いて浮れ過ぎたが、まさかその余韻が斯んなにはつき…

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