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湖の夢
みずうみのゆめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「時事新報 第一八六六九号~第一八六七一号」時事新報社、1935(昭和10)年5月20日~22日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-11-22 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 友人である医学士のF君が、オースチンを購入したので、案内車を先に立てながら富士の五湖をまはつて来ようと、或る晩わたしの部屋を訪れた。神経科の専攻であるF君は、かねがねわたしの病状については深い留意を払ひ、年来にわたつて投薬をつゞけてゐて呉れる人であつた。ともかく文字のことは忘れるんだね、花をつくることをすゝめるよ――F君は切りとさう云つて、然し酒は寧ろ結構だと寛大であつた。だからわたしは、F君とだけはいつも平気で飲み、F君に救けられて帰る晩が多かつた。F君は、職業柄決して酩酊が適はぬと滾し、わたしの忽ちなる陶酔状態を羨ましがつたが、わたしにして見ると、容易に酔はぬといふ大酒家の方が豪傑めいてゐて頼もしく、羨望のかぎりであり、どうかして自分も紳士的なる酒の片鱗でも望みたいと思はぬことはなかつたが、いつもわたしは時と場所の差別もなく駄目であつた。
 わたしは、いつにも爽やかな游山とか、ドライヴとかの暇もなく、胸のうちでばかり憧れる風景の香りにばかり酔つてゐるといふやうな折からだつたので、F君の誘ひは何よりも嬉しく、彼が未だ言葉も云ひ終らぬうちに、もはやほのぼのと眼を霞めて非常に賛成した。では今宵は、ゆつくりと眠つて、翌朝は五時の出発といふ約束でF君にわかれ、わたしは目醒時計を四時にかけて、うとうとゝすると、湖のすがたが浮びあがつたりして、直ぐに眼が醒めるのであつた。……竹籔の蔭の井戸傍に木蓮とコヾメ桜の老樹が枝を張り、野天風呂の火が、風呂番の娘の横顔を照してゐた。囲炉裏のまはりには湖で獲れる魚(あのころわたしは魚が嫌ひだつたので名前も覚えてはゐない。あれは本栖村であつたか? と考へてもわたしはちよつとはもう見当もつかないほどの古い記憶なのだが、不思議と娘の名前がるいといふのであつたのを思ひ出したりした。――あの頃といふのは凡そもう今から二十年も前の昔で、わたしは途方もなく叙情的な大学生であつた。医者であつたわたしの亡くなつた叔父が、頭を悪くして白糸の滝のある上井出村に静養の日をおくつてゐた。東海道線の富士駅から馬車で大宮町を指し、富士を右の空に見あげながら桑畑の間に鳴る鞭の音を聞いてゐれば土も踏まずに間もなく滝のある村に到着するのであつたが、わたしは御殿場駅に降りると、籠坂峠を越え、山中村に泊り、吉田町から湖へ達して、また農家に幾晩か泊り、西湖で舟を漕いだり、精進湖の森で[#挿絵]蝶類や甲虫類を採集し、幾日か振りで漸く本栖村に到着すると、鍬形台五郎といふ庄家のところで十日もかかつて脚の怪我を待つたことがある。大ムラサキ蝶を追ひかけて、本栖峠の断崖から滑り落ちたのであつた。さうだ、漸く思ひ出したが、るいといふ娘は鍬形家の小間使ひであつた。小間使とは称ふが、殆ど家内の仕事ではなく、舟を漕いだり、馬車を御して大宮町へ莨の葉を運んだ。わたしは、竹竿を構えながら一…

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