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浅原六郎抄
あさはらろくろうしょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「文藝首都 第三巻第七号(七月号)」黎明社、1935(昭和10)年7月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-11-06 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 先日銀座で保高さんに遇ひ、文芸首都に何か書くようにと命ぜられた折、わたしは浅原六朗を――と応へた。それより他に誰も思ひ浮ばなかつたのである。畢竟、彼はわたし達の文学生活にとつて忘れることの適はぬ旧友であり、やがてこれからは人生上の歴然たる友達としての行手が待つてゐるのだと、わたしは漸くこの頃になつてはつきりとして来た次第である。何しろわたし達は喧嘩ばかりして、漸くこゝまで達したものとは申せ、わたしには心底からの戦ひは求められなかつたのだ。浅原がわたしのことを鬼のやうな顔をして、やつつけてゐたとか、露骨な遊蕩児になつたとかと聞いても、何だかわたしは明らかに身に応えず、彼の内面的のことは左ういふことを云ふ人には解つてゐないのだといふ気がしてゐるだけだつた。全く彼の言葉つきなどからは、誤解といふやうなものを享けるものが在るには在つても、何時何処で何ういふことをきゝ、何とわたしが答へたにしても、何かはつきりと或る一つの安心が、わたしの心の上には明らかであつた。それは、わたし達が未だ二十歳のころ、夢のやうなことを語らひながら明るい戸山原などを歩き、いつまで歩き、いつまで喧嘩して、終ひには罵り合つて夜更けに別れても、あしたの朝顔を合せると、ちよつとわらふだけで、またきのふのつゞきがはぢまるといふ夢と閑とを充分に持ち合せてゐた級友であつたといふこと、一種異様な愚かな学生であつたといふことの、思ひ出がいつまでもそのまゝ残つてゐるので――たゞ互ひの生活上の変転から次第にさういふ機会がなくなつてゐるまでゞ、遇つて喋舌る折があれば何でもないといふ平気さがわたしの胸の中には明らかだつたからなのである。彼は口では何んなことを喋舌つても、到底わたしには彼が世俗的に才長けた羨やむべき人物であつたり、こせこせした手腕が逞しい人物に成り変つたとは信ぜられず、わたしにとつては全く単なるわたしと同様なる一介の文学青年に過ぎない、文学より他には決して心からなる熱情を傾けることの出来ない――わたし達は学生時代にそんなことばかりを話し合つて興奮した通り――その他の人物としての彼は想像も出来ぬのであつた。稍うつむき加減に眼を蓋せ、口を突らせ、僕はな/\……といふ時の彼の容子は愛嬌に富んでゐて、何うかすると突然腹の底から笑ひ出すのであつた。あのやうな笑ひ方をする人物には貪婪さや卑劣さがいさゝかもなく、思ひも寄らぬ誠実の涙に富んでゐる例証を、わたしは昔、見逃がさなかつたのである。――われわれにはどんな場合にも技巧といふものがなく、寧ろたゞ愚かで、オクといふ類ひのものであるだけだつたのだ。文学的といふよりも、寧ろ人生的といふことを気づいたのも漸くこのごろのことで、――それでもわたしは、多少は、こいつゴシツプ的に風聞した如く変つてもゐるかしら? と訊ねたりすると、彼はあかくなつて、止めろ/\といふだけだつた。…

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