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自烈亭
じれつてい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「モダン日本 第七巻第一号(新年特別号)」文藝春秋社、1936(昭和11)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-11-14 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 僕は近頃また東京に舞ひ戻つて息子と二人で、霞荘といふところに寄宿しながら全く慎ましい日夕をおくり迎へて別段不足も覚えないのであるが、こんな小さな部屋では酒をのむわけにもゆかず、いつも神妙な顔をして、こつこつと小説を書き、書いても書いても何といふこともなく家を建てるなんていふことはおろか着物一枚買へもせず、それどころかいつの間にか鞄に入れて来たものもなくなつてしまつたりして、これは一体何ういふものかなどゝ考へると、やはり余り小つぽけな暮しをしてゐるために、そんなつもりではなくつてもつい了見までがケチ臭くなつてゐる故為かなどゝ思ふのであつた。僕としては然し下宿でも何でも一向頓着もないのであるが、艶めかしい婦人の踊る物音や、あたしのラバさんなどゝいふ声が響いたりするところに息子を置くのは教育の為に如何かと案じて住居のことも考へるのだが女房を招んで貸家探しなんていふことも、とても面倒で考へると同時に願ひさげて了ふのである。此処は或る貴族の何万坪かといふ屋敷跡の分譲地で堂々たる邸宅ばかりが並んでゐて、その一隅の貸室館に、中でも小つぽけな一室に親と子が卓子をならべて、親は四角な区劃の紙片を一字一字埋めながら、こせついたりしてゐる光景を吾ながら傍見して僕はお気の毒見度いになるのであつた。僕の祖父は至つて了見の小さい町役場の吏員であつたところ、不図僕は彼が自烈亭と号して狂歌などをよんでゐたのを憶ひ出し、あんなに慎ましやかな酒飲みであつたが、勤勉な役員で、普段でも山高しやつぽを被り、お目出度い/\といふのが口癖で、人と口論するためしもなく一日一日の平安無事ばかりを祝福して晩酌の長閑さに浸つてゐたかの人物でも、内心には矢張りぢれツ度い思ひがあつたのかと意外に思ふのであつた。道理で好く正月の休みになどなると、勲章やサーベルなどをぶらさげた小さい僕を伴れて箱根や熱海へ赴き、大いに酩酊して「仰イデハ三山ノ雪ヲ吐キ」などゝいふうたをうたつた。僕等もこんな部屋にばかりゐては仕様がないから、また箱根へ行かうと息子を促すのであつた。僕の懇意な旅館は全山一の大廈高楼で、何百畳といふ大広間がいくつもあるといふほどの構へでも、至つて風態からして怪し気な、その癖顔つきばかりは威張つてゐる見たいだけで変梃な僕でも、常々便宜をはかつて呉れ、私は今宵は鳳仙閣で独酌して見度いなどゝいけ図々しいことを申出ても、快く承諾して呉れた。それは三百畳からの大広間であつた。僕はその一隅に蚊のやうにとまつて、酒を呑むのであつた。酔ふほどに気分は大きく、陶然とする僕は、
北溟ニ巨魚アリ
身ノ長 数千里
仰ギテハ三山ノ雪ヲ吐キ
横サマニ百川ノ水ヲ呑ム
 と非常にうたふのであつたが、そんなに広い処なので、誰もゐないと同様で、どこにも迷惑などは及ぼさぬのであつた。僕は今居るところも別段嫌ひでないのだが、要もない人の噂を聴された…

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