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秋雨の絶間
あきさめのたえま
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「少女 第八十一号(鳩ちやん号 九月号)」時事新報社、1919(大正8)年8月6日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-04 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 一降り欲しいとのぞんだ夏の小雨が、終日降り続いて、街の柳に煙つたかとみると、もうそれは秋雨と呼ばなければならない。軽く軽く絹糸のやうに降つてゐる小雨の音は、小声で唱歌を唄つてゐる綾子の――丁度その雨のやうに美しい音律にも消されて、たゞ静かに白銀の粉末を散らしてゐるばかりである。そしていつの間にか庭の葉末の影から綾子の黒曜石のやうな瞳までを湿ほしていつた。窓に凭つて外を眺めて居た綾子の眼には、いつか夜露の様な涙が宿つて居た。――山家に寂しく暮らしてゐる母、もう今では叔母さんと呼ばなければならなくなつた以前の母の事がまざまざと目の前に描き出された。
 今の家に綾子が育てられる事となつたのは、一昨年の春だつた。それから――はや二年は過ぎた。夏の暑さは海辺の別荘へ、冬の寒さは暖かな山の温泉へ、何不自由なく過ごせる華やかな今の身の上――それに今の母は強いて綾子を欲しいと願つた程なのであつたから、それこそ玉のやうに大切に、吾子のやうに慈しむでゐるのであつた。そのことは綾子にもよく解つてゐた。心では涙の出る程感謝して居た。こんなにも可愛がつて下さる今の母の前で、以前の母を忘れ兼ねる事の出来ないのを、綾子は母に気の毒のやうな気がした。でいつも母の前では努めて快活に――過ぎた事は皆な忘れたやうにして心配を掛けまいとして居た。今の身が幸福であればある程、綾子は前の母を想はずには居られなかつた。こんな時はいつも綾子は窓に凭つて空を眺めながら唱歌を唄つて心を慰めやうとするのであつた。
 いつの間にか雨は止んだ。銀扇が舞姫の手からすべり落ちたかのやうに、雨は忘れられて居た。
「おや、まあ綾ちやんはこんな所に居たのかへ。お母さんは随分探してよ。」母は手に何かの箱を持つて微笑みながら綾子の側へ来た。
「ええ……」綾子は急いで涙を拭つた。
「加減でも悪いの?」母はやさしく綾子の顔を覗いて、肩へ手を懸けた。
「いゝえ、――たゞ雨が余り綺麗なものですからこゝで見て居ましたの。いつの間にか止むでしまひましたわね。どうも済みません、お母さん御心配なさつてはいけませんわ。」
「そんならよかつたけれどね、私は綾ちやんがちよいとでも見えないと案じられてならないのよ。今日ね、買物に行つたついでに綾ちやんへ指輪とリボンを買つて来て上げたのよ。」と母は云ひながら箱の蓋を取つて見せた。立派やかな紅石の指輪と美しいリボンとが綾子の眼の前に並べられた。
「どうもありがたう。」と綾子は答へたけれどそれを凝と瞶めた儘、手を触れやうともしなかつた。綾子は辛うじて涙のこぼれさうになつたのを圧へた。



 其夜は四の日で西河岸のお地蔵様の縁日だつた。空はすつかり晴れて月の中には兎が見えさうになつた。
 母は綾子が淋しさうな顔付をして居るので、屹度先程の買物が気に入らないのだらうと察した。然し尋ねて見たところで綾子…

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