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作品ID52896
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「少年 第二〇九号(新年号)」時事新報社、1920(大正9)年12月8日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-04-19 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一郎は今迄しきりに読んでゐた書物から眼を放すと、書斎の窓を開いて庭を眺めた。――冬枯の庭は、どの木も寒さうに震へてゐるかのやうに見えた。南天の実の紅色だけが僅かな色彩で、冬の陽に映えてゐるばかりだつた。空はよく晴れてゐて、時たま何処かで百舌の声などがキーキーツと絹地でも引き裂くやうに鳴き渡ると、空の彼方までそれが長い糸のやうな余韻を残して消えて行つた。風もないのに木の葉がハラハラとこぼれて来た。ふと、その様を見ると、一郎は涙が胸まで込み上げて来るのを感じた。
 それは、つひ一日前の日の事だつた。昼休みの時間に機械体操につかまつて、もう少しで出来かゝつてゐる「中振り」を一所懸命に練習してゐるところへ組長が来て、
「君はこゝに居たのか、さつきから随分探したぜ。実はS――先生が君に用事があるから直ぐ来い、と伝へられたのだ。すぐに行つて呉れないか。」と云ふのであつた。
「僕に用事だつて? をかしいな! 何だらう。」先生の用事と云ふと、それに昼休みに呼ばれるといふのは、大概叱られることに定つてゐる……と、一郎は思つたから、可成り厭な気持がして、服に着いた砂をはらひながら、もう一度「ほんとに僕なのか?」と聞き直した。――いろいろと何か叱られるやうな原因がありはしないかと考へて見たけれど、どうしても心当りはなかつたので、妙な気がした。
「さうだよ。」と組長は云つた。
 級の中で一番の悪戯者だと睨まれてゐるのは一郎自身にもよく解つてゐるので、先生と口をきく時は叱られるときより他には決して無かつたので。――この日は全く自分にはどう考へて見ても叱られるやうな原因は思ひ出せなかつたが――それでも「先生」と聞くと不安でならなかつた。
 教員室へおそるおそる入つて行くと、S――先生だけが一郎の来るのを待つてゐたと見へて、ひとりポツネンと煙草を吸つて居た。一郎は先生の側に立つたが、先生はわざと知らぬ振りでもしてゐるやうに、此方を見もせずに煙草を吸つてゐる。で、直ぐに一郎は、先生が如何に気嫌を悪くしてゐるかを知つたが、それにしてもその罪が自分のどこにあるのか思ひも当らなかつた。
 稍暫くたつて――(その間一郎は、用事があるからと呼んで置きながら、来て見れば黙つてゐるとは……とばかげた気持がしてゐた時)――漸く先生は、屹と此方を睨めて、
「お前だらう、黒板にイタヅラ書きをしたのは――」と云つた。
「えツ……」一郎は、思ひも寄らぬ事だつたのでびつくりした。すると、弁解の余地がないので困つてゐるのだ。悪戯の図星を指されて――とでも思つたのだらう、先生はもうその罪が一郎であるといふことに見極めが付いたものゝやうに、勝手に、
「何故お前はあんな悪い事をしたのだ。」と云ふのであつた。一郎の弁解などは待たずに、かう高びしやに出られると、一郎はわけもなく口惜しくなつて、言葉を出すことさへ出来ず、黙つて…

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