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白明
はくめい
作品ID52898
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「解放 第三巻第三号(三月号)」解放社、1921(大正10)年3月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-05-28 / 2014-09-16
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 医院を開いてゐた隆造の叔父が発狂して、それも他所目にはさうとも見られる程でもなかつたが職業柄もあつたし、家内の者達への狂暴は募るばかりで「酒癖が悪い」位ゐでは包み終せなくなつて、漸くのこと、三月ばかり前にS癲狂院へ入院させて以来――毎晩のやうに同じやうな叔母の愚痴話の相手になつて、隆造は夜を更さなければならなかつた。
「だけどね、隆さん。」と、叔母は炭をつぎながら云つた。「情愛てものは争はれないものだね。妾はつく/″\感心して居るのさ。だつてね。叔父さんがあんなに酷く酔つて、恰で気狂ひのやうに。」と思はず叔母は云つたのに気附いて、「アラ、まあ!」と寂しく笑つた。「いゝえ、さ、ほんとに。」直ぐに真顔に返つた叔母は、「どんなに酷く暴れてゐる最中でも隆さんが入ると恰で猫のやうにおとなしく変つて仕舞ふんだもの。だからお前さんの阿父さんが、彼奴はそらつかひだ、なんて疑つたのも無理はないね。」と沁々と云つた。
「さうですね。」隆造は、実際叔母の云ふ通りであつたから何の顧慮もなく斯う答へる事が出来た。少くとも彼は此ことだけは自分の力を信ずる事が――結果から見ても出来た。
「いつかの時なんかもう五分もお前さんの帰りが遅かつたら妾はそれこそ殺されて仕舞つたかも知れなかつたらう。」
「さうでしたね、あの時は。」隆造は、自分に何か特別の技倆でもあるかのやうな妙な誇りを感じて、反つて冷かに見ゆる落着さで悠々と煙草を喫した。
(隆造の父親は、彼の幼年の頃から外国で暮したので、隆造は十幾つかの時初めて父の顔に接したのだつたが、その時どうしてもそれが自分の父親だといふ気がしなかつた。隆造の家から学校へ通つてゐた叔父を、隆造は現在の記憶でも、その叔父に父のやうな親しみを感じた事を呼び起すことが出来た。その頃も叔父は一度発狂した。叔父さんの傍へ寄つては危いからいけない、と注意されたが、叔父が彼にだけは到底狂人だとは思へぬ位ゐ優しいので、「さう」思ふのは叔父に済まないやうな気もした。家人を怖ろしく罵つてゐる叔父の声を聞いて居ると、その言葉の中に相当な理由のあるやうな気さへした。叔父が真夜中に、一処に寝て居た隆造を抱上げた儘、寒い冬の星の下をどん/″\と駈けた時も、左程驚かなかつた。)
 隆造は不図そんなことを思ひ出した。
(……「寒いから帰らうよ、つまんないや、夜なんて。」と、云つた。
「うむ、よし/\、ぢや一つ素晴しく面白いことをしよう、……さうだな、鬼ごつこか、それとも泥棒ごつこか。」
 …………………………
 その夜を二人は警察の留置所で明して、翌日から酷い熱が出て長い間入院した。叔父は常人よりも熱心に看病した。
「叔父ちやんのセエだよ。あたいがこんなになつたのは。」と、恨めしさうにマセた事を云つた。その時叔父の頬にポロ/\と涙が滾れてゐるのを見て、気の毒になつて此方も泣き出して仕舞つ…

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