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池のまはり
いけのまわり
作品ID52908
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「白磁 創刊号」白磁社、1922(大正11)年4月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-05-22 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「ね、お祖母さん――」
 半分あまつたれるやうな口調で彼は、もぐ/\云はせながら祖母の炬燵の中へ割込むで行つた。
「厭だよ。お前なんかに入られると寒くつて仕様がありやしない。」
 祖母はさう云ひながら、それでも彼の膝のまはりの被着の隙を行儀よく直した。
「ね、お祖母さん、阿父さんは怒つてる?」
「そりやア、怒つてるさ。」
「何と云つて怒つてる?」
「何と云つてるも何もないよ。」
「それでもよ。ほんとに――。余ツ程怒つてる?」
「今度といふ今度は――そりや阿父さんの怒るのが当りまへだ。」
「そりや当りまへさ、そりや解つてゐますよ。」
「そんなら何も聞く事はなからうが。それが生意気といふんだよ。だから……」
「そんなことは聞きたくもない。」
 彼は頬ツぺたをやぐらに載せて横を向いた。
「阿父さんは斯う云つてゐたよ。――彼奴は嫁を持つまでは到底なほりつこない人間のさかり……」と云ひかけて祖母は、
「阿父さんの云ひ方も余り乱暴だけれど――」と微かに笑つた。
 彼は顔がわけもなくほてつて来るのを覚えた。
「そんなことなら聞き度くないツて云つてるぢやありませんか。止して下さいよ。――もう何にも聞き度くない。怒るともどうとも勝手にしろ、しつてるもんか。」
「あれだ! 何てエ了見だらう。」
 彼は、炬燵から飛び出して縁側に立つた。彼は、池の鯡鯉を眺めてゐた。――祖母だけと見て、こんな我むしやらな事を吐いたが、後になつて、父に云ひつけられはしないか? と思ふと、ビクリとした。が、そんな臆病な気持は直ぐに消え去つた。――あんまり人を馬鹿にしてゐる、動物扱ひにするとは失敬だ――彼は無暗に腹がたつて堪らなかつた。どつかへ飛び出して当分帰つて来てやるまいか、などと彼は思つた。その上恥しさが堪らなかつた。ちよつとでも性慾に関することは罪悪であるといふやうな家庭的の因襲に余りに彼は教化されてゐた。
 ――ふと、彼は幼い時母達に伴れられて墓参りに行つたことを思ひ出してゐた。寒い天気の好い日だつた。裏通りを通つてゆくのが近道なので母達は当然それを選むだ。彼は、表通りを行きたいと云つて諾かなかつた。彼は俥が関はず走るのが堪らなくなつて、無茶苦茶に喚いて母の膝の上で暴れた。母はアツケに取られた。裏通りには長い白壁があつた。その壁に、模様化した素晴しく大きな生殖機の図が落書がしてあるのを彼は知つてゐた。その壁の前を母達と一緒に通るのが無性に厭で恥かしくつて堪らなかつたのである。俥が壁の前に来る頃、彼はあきらめて泣き止むと、どうかして母の注意をそつちに向けまいとして、急に途方もない質問をして反対の方を指した。
 彼は池の水を眺めながら、そんなことを考へた。
 然し、もうあの可愛らしい雛妓の千代子に会ふことは出来ないのだ。当分の間夜は一歩も出ることは出来ないのか……先刻、父から断然と宣告された言葉を思…

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