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他山の石
たざんのいし
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「柳北全集」 博文館
1897(明治30)年7月9日
初出「朝野新聞」朝野新聞社、1876(明治9)年12月17日
入力者桂沙代子
校正者宮川真弥
公開 / 更新2011-06-17 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


[#挿絵]上子晩酌シテ酔ヘリ。寝ニ就カントスルニ猶早シ、書ヲ読マントスルニ亦懶シ。客有リ来リ誘フテ曰ク、先生何ゾ市上ニ散歩セザル。乃チ共ニ門ヲ出ヅ。木葉既ニ落チ霜気稜々タリ。寒月屋瓦ヲ照シテ街灯光無シ。酔ヲ帯テ歩スル数十弓、忽チ見ル一楼上人影紙障ニ満チ履靴戸内ニ盈ツルヲ。[#挿絵]上子曰ク衆何ノ為メニ来ルヤ。客曰ク是レ鶴澤氏ノ絃歌ヲ聴ク也、先生亦試ニ一聴セザルヤ。[#挿絵]上子曰ク善シ乃チ入テ坐ス。楼内士女填咽、殆ド立錐ノ地ナシ。老婦アリ少婦有リ壮丁有リ[#挿絵]父有リ、児ヲ携フ者アリ妓ヲ伴フ者アリ、鮮帽美服官吏ノ如キモノ有リ、布褐縄帯乞丐ノ如キ者アリ。両耳双目ヲ中央ノ壇上ニ注ス。伶工代ル々々壇上ニ出デ其技ヲ奏ス。[#挿絵]上子欠伸スル而已。毫モ感ズル所無シ。自ラ客ノ為メニ誤ラルヽヲ悔イ将ニ出デ去ラントス。客曰ク少シク忍ベ伶魁将ニ出デントス。既ニシテ柝鳴リ幕徹シ灯光頓ニ明ナリ。一伶壇上ニ上ル。客指シテ曰ク是レ鶴澤紋左衛門也ト。高歌一声坐定リ人静カナリ。左手ニ絃ヲ擁シ右手ニ撥ヲ執リ、弾ジ且ツ謡フ。其始メヤ松籟ノ遠巒ヨリ来ルガ如ク[#挿絵]然※[#「風にょう+留」、U+98C0、75-下-16]然、忽チニシテ行雲ヲ翻ヘシ忽チニシテ急雲ヲ飛バシ、颯々トシテ簾幃ヲ捲キ磊々トシテ屋瓦ニ震ヒ、而シテ細カニ其ノ声ヲ品スレバ紳士応対ノ声、武夫慷慨ノ声、女児呻吟ノ声、婢子諧謔ノ声、笑声哭声忿声驚声、叱[#挿絵]ノ声論難奮諍ノ声、剣ヲ按ズル声仏ヲ念ズル声、各種ノ声瞭然析ツ可シ。忽チ聴ク人喝シ絃轟キ撥閃キ、俄ニ千軍万馬ヲ坐中ニ現出シ来ル、鉄甲錚トシテ鳴リ金戈戞トシテ鳴リ、鉦皷鳴リ砲銃鳴リ、身ハ血戦死闘ノ塲ニ在ルガ如ク、人ヲシテ毛髪為メニ慄然タラシム。其ノ楽シキニ当テヤ老婦笑ヒ少女笑ヒ、壮丁[#挿絵]父官吏乞丐皆ナ笑フ。其哀キニ当テヤ唯ダ老婦少女ノ凄咽相泣クノミナラズ、火丁泣キ[#挿絵]父泣キ官吏泣キ乞丐泣キ、客モ亦泣キ[#挿絵]上子モ亦泣ク。目ヲ挙ゲテ彼ノ伶ヲ視其ノ声ヲ認ムレバ、絃三ノミ腔一ノミ。[#挿絵]上子喟然トシテ嘆ジテ曰ク、妙ナル哉技ヤ、何ゾ其レ人ヲ感ズルノ此ニ至ル。今夫レ操觚執簡以テ其業ト為シ、一世ヲ睥睨スル者世其人ニ乏シカラズ。而シテ其ノ筆スル所其ノ説ク所、人ヲ感動シテ忽チ笑ヒ忽チ泣クニ至ラシムルモノ其レ幾許有リヤ。我輩ガ常ニ筆墨ヲ弄シテ日ニ数千百字ヲ駢列スルモ、未ダ曾テ一人ノ笑ヲ皷シ一人ノ泣ヲ醸スコト能ハズ、其ノ無用ナル之レヲ号ケテ屎ト云フモ可ナリ、屁ト云フモ亦可ナリ。嗚呼于偲男子ガ蛍雪多年ノ業ニシテ猶斯クノ如キハ、豈絃三腔一ノ紋左ニ対シテ深ク愧ルコト莫カランヤ。記シテ以テ自ラ警ム。



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