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野草雑記・野鳥雑記
やそうざっき・やちょうざっき
作品ID52946
副題02 野鳥雑記
02 やちょうざっき
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「野草雑記・野鳥雑記」 岩波文庫、岩波書店
2011(平成23)年1月14日
初出野鳥雑記「アルト 第四〜六号」紀伊国屋書店、1928(昭和3)年8月1日〜10月1日、鳥の名と昔話「野鳥 第一巻第二号、第二巻第八号」梓書房、1934(昭和9)年6月1日、1935(昭和10)年8月1日、梟の啼声「家の光 第三巻第八号」産業組合中央会、1927(昭和2)年8月1日、九州の鳥「九州民俗学 特輯号」九州民俗学会、1930(昭和5)年10月8日、翡翠の歎き「郊外 第六巻第六号」郊外社、1926(大正15)年5月1日、絵になる鳥「短歌月刊 第二巻第七号」文芸月刊社、1930(昭和5)年7月1日、烏勧請の事「東京朝日新聞」東京朝日新聞社、1934(昭和9)年5月13〜16日、初烏のことなど「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞発行所、1930(昭和5)年1月3日、鳶の別れ「経済往来 第一巻第四号」日本評論社、1926(大正15)年6月1日、村の鳥「きぬた」、1934(昭和9)年1月、六月の鳥「文体 第一号」文体社、1933(昭和8)年7月15日、須走から「野鳥 第一巻第四号」梓書房、1934(昭和9)年8月1日、雀をクラということ「南島研究 第二輯」南島研究会、1928(昭和3)年5月10日、談雀「俳句研究 第六巻第二号」改造社、1939(昭和14)年2月1日
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2013-06-07 / 2014-09-16
長さの目安約 168 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

野鳥雑記





 暫らく少年と共に郊外の家に住むことになって、改めて天然を見なおすような心持が出て来た。少なくとも今までの観察の、大抵は通りすがりのものだったことを感ずる。旅は読書と同じく他人の経験を聴き、出来るだけ多くの想像を以て、その空隙を補綴しなければならぬ。自分の如き代々の村人の末でも、ほんの僅かな間の学問生活によって、もうこれほどまでに概念のしもべになろうとしている。これは忘れたというよりも最初から談ろうとしなかったためであろう。今において始めて野の鳥の徒らに饒舌でなかったことを考えざるを得ない。



 畠に耕す人々の、朝にはまだ蕾と見て通った雑草が、夕方には咲き切って蝶の来ているのを見出すように、時は幾かえりも同じ処を、眺めている者にのみ神秘を説くのであった。静かに聴いていると我々の雀の声は、毎日のように成長し変化して行く。ある日はけたたましい啼声を立てて、彼等の大事件を報じ合おうとしている。これが人間でいえば物語であって、集めまたは編纂して歴史となるべきものであろうが、あれを構成して行くめいめいの悩みと歓びとの交渉配合が、こんなに人生の片寄った一小部分であったことを、今までは頓と心付かずにいた。



 雲雀が方々の空で鳴いている。多くはこれも自分の畠を持っていて、他処へ出て行かぬ時ばかり、最も自由に囀り得るものらしい。一つ一つに流義というようなものがあって、出来るならば名を付けてやりたい気がする。ある者はいかにもブマであって、朝も夕方も少しでも調子をかえず、土の上にいて空の声を啼いたりする。そうかと思うと精確におりる時、立つとき、横に行く時と歌いかえ、高さによって次々の節を変えるものがある。籠に入れて飼い始めてから、人は漸くその巧拙を聴分け、価の差等を設けようとするが、もし差等があるならば疑いもなく持って生れたものであった。こんな東京の近くの、真似ならば幾らでも出来る土地に住みながら、一生涯下手に啼いて、暮してしまう雲雀もあるのを見れば、親が教えるということは師弟とはまた別のもので、鳥屋が名鳥の籠の隣へ雛を連れて来て、好い調子を学び習わしめようとするのは、一つにはただ天分の試み、今一つは外界を遮断して、仮に幼ない者にこれを親かと思わしめるだけの細工であったかも知れぬ。



 だから雛を育てることのむつかしい雁などの囮は、かつて荘周の寓言にもあったように、その鳴声の遺伝がたちまちに食われると愛せられるとの境を区別する。美濃から信濃にかけては秋に入ると、鶫の売買が盛んであるが、好いオトリの何年かを飼い馴らしたものは、ただの仲間の麹漬になる鶫の、何千羽を集めたよりも高い価を持っている。それが決して教育の力ではなく、単に偶然にその声の囮に適することが発見せられて、多数の中から稀に一つ、取残して珍重せられたというに過ぎぬ。専門の鑑定家の…

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