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夜光虫
やこうちゅう
作品ID52950
原題NOCTILUCAE
著者小泉 八雲
翻訳者林田 清明
文字遣い旧字旧仮名
入力者林田清明
校正者林田清明
公開 / 更新2011-04-03 / 2019-03-02
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 月もなき無窮の夜空、あまた星のきらめきて、横たはる天の河、ひときはさんざめく。風凪たれど、海ざわめきぬ。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せ來る小浪の、皆火のやふに燦めきぬ。黄泉の國の美しさもかくあらむや。眞に夢の如し。小浪の浪間は漆黒なれど、波の穗の、金色を帶び、漂ひぬ。――そのまばゆきに驚かされぬ。たゆげなる浪、ことごとく蝋燭の焔のやふに黄色の光を放つ。なかに深紅に、また青く、今黄橙に、なかには翆玉色を放つあり。黄色に光れる浪のうねりの搖蕩は、大海原の波動の故にあらずして、何かあまたの意思の働ゐてをる如く思はれり――意識を持ちて、巨大にして漂ふてゐる――かの暗き冥界に棲む怪獸の、群れをなし、ひしめきて、繰り返し身もだへせるに似たるかな。
 げに、かくも壯麗なる不知火の光華を作れるは生命なり。――いと小さき生命なれど、靈的な纎細さを持てり――限りなく群れなすといへど、はかなきなり。振りさけ見れば、かの水平綫のかなたまで流離ゆく潮路の上で、この小さきものは、弛み無く變化して、今を生きむと、かつ燃えかつ消えんとす。また、水平綫の上にては、他の億萬の光が、別の色を脈打ちて、底知れぬ深淵に、往き失せぬ。
 奇しき樣を眺めつゝ、我、言葉なく瞑想す。「夜」と「海」のおびただしき燦めきの中、「窮極の靈」の現はれしかと思へり――わが上にては、消滅せる過去の、凄まじく融解しては輝くといふ秩序に於いて、再び存在せむと欲する生命の靈氣とともに、蘇りぬ。わが下にては、流星群がほとばしり、また星座や冷たき光の星雲となりて活氣づきぬ――やがて、我は思ひ至りぬ――恆星と惑星の幾百萬年なる歳月も、萬象の流轉にありて、一匹の死にかけた夜光蟲の一瞬の閃光に優る意味を持たんや、と。
 この疑念の湧きてより、わが思の變はるなり。もはや炎の明滅せる、古への東洋の海を望みておるにあらず。わが觀しは、さながら海の廣さと深さそれに高さとが「永遠の死の闇」と一體となれる、かの「ノアの洪水」なり――言ひ換へるなら、寄るべき岸邊なく、刻むべき時間もなき「死」と「生」の「蒼海」なり。なれば、恆星の何百光年もの輝ける霞たる―― 天の河の架橋――も、「無限の波動」の中にありては、燻ぶれる一個の波にすぎず。
 されど、わが胸底にかのささやきをまた聞けり。我、もはや恆星の霞の如き波を見ずして、ただ生きてをる闇を觀るのみ。それ、無限に瞬きて、流れ込み、わが廻[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りをゆらゆらと震へる如く行き去りぬ。燦めきといふ燦めきの、沸々として、心臟の如く鼓動せり――燐光のよふな色を打ち出してをり。やがて、これら輝けるもの皆、光の撚り絲の如く明滅し、終はりなき「神祕」の中へ流れ出まし……。
 嗚呼、我も夜光蟲の一匹なり――無量の流れにありて、はかなく漂ふ燐光の一閃光なり――わが思惟の變はるにつれて、…

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