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先生と生徒
せんせいとせいと
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本児童文学大系 三〇巻」 ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日
初出「教育論叢」1933(昭和8)年10月
入力者菅野朋子
校正者雪森
公開 / 更新2014-07-22 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 今日は、ひとつ、私の子供の時分――小学校時代のことを話しませう。私は八つから小学校へ上りましたが、その年が丁度「日露戦争」の終つた年でしたから、もうよつぽど古いことです。
 その頃、私の村には小学校が二つありましたが、大きい方も小さい方も、どちらも尋常科だけで、高等科は隣村の町にしかなかつたのです。しかもその頃の尋常科は四年まででした。それで卒業なんです。
 私の上つたのは小さい方の、「就徳尋常小学校」といふので、先生がたつた一人つきり、生徒が、一年から四年まで合せて五十人ほどでした。校舎も一つで、教室も一つきりでした。
 カーン/\・カーン/\と、授業の始まるごとに合図の板木を叩くのは先生で、時には先生の奥さんが叩くこともありました。この学校には小使さんなんか居ないで、先生と奥さんとが二人の子供をつれて、いつも泊りこんでゐるのでした。
 さあ、カーン/\が鳴つたといふと、みんな大急ぎに駈足で帰つて来ます。それもその筈、いつだつて、たいてい生徒は学校の庭で遊んでゐることはなく、大きな子供なんかは五・六丁も先の小山や、小川や、田圃道で遊んでゐたからです。あんまり遠くへ行つてゐるとカーン/\が聞えないので、そんな時は、誰でも聞えた者が知らせ合ふことになつてゐました。
 ワツシヨイ/\と帰つて来ると、校舎の玄関を入つて左に折れ、たつた一つの教室の入口の土間に飛びこみ、そこへゴチヤ/\に草履や下駄を脱いで教室にながれ込むのですが、履物にはみんな名札が附いてゐたので、めつたに無くなることはありませんでした。
 教室の正面には長い教壇があつて、壁には四つの黒板がありました。その黒板に向つて、二つづつの生徒の机が四通りに並んでゐました。一番右が一年生、その次が二年生といふ風に、四年生まででしたから四通り、そして黒板が一つづつあつたわけです。
 これを、たつた一人の先生が教へるのですから、先生はとても大へんです。
「さあ、みんな/\、こつちを見い! こら、一年生の荒木と三太、お前ら何しとる! こらツ、三年の吉川静江、今お手玉を出しちやいかん! 四年の太田! 二年の松井! みんなチヤンとしてこつちを見い!」
 先生は尖の垂れ下つたくちひげを生やし、いつも着物を着て、一本のムチを持つてゐました。ムチは、一メートルばかりの長い竹の根で作つたもので、或る子供が数へたのですが、本から尖までに七十三も節がありました。このムチが、みんな怖かつたのです。油断をするとすぐ飛んで来て、机か頭か手かをひツぱたいたからです。
 この先生は、ふだんはとてもやさしくて、何を云つても黙つてニコ/\して、くちひげばかりひねつてゐるのでしたが、教室に入つて授業を始め出すと、どうしたものか気が荒くなつて、云ふことをきかないと、小さい子でも女の子でも黒板や机と同じやうに、すぐひツぱたくのでした。ひツぱたく…

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