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面影
おもかげ
作品ID53144
副題ハーン先生の一周忌に
ハーンせんせいのいっしゅうきに
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「家庭新聞」1905(明治38)年9月
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2017-09-26 / 2017-08-25
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 独り、道を歩きながら、考えるともなく寂しい景色が目の前に浮んで来て胸に痛みを覚えるのが常である。秋の夕暮の杜の景色や、冬枯野辺の景色や、なんでも沈鬱な景色が幻のように見えるかと思うと遽ち消えてしまう。
 消えてしまった後は、いつも惘として考えるのである。なんでこんな景色が目に見えるのであろう。誰のことを自分は思っているのか? 気に留めて考えれば空漠として、悲しくも、喜ばしくもないが、静かに落付ていると胸の底から細い、悲しい、囁きのように、痛むともなく痛みを覚えて、沈鬱な寂寞たる夕暮の田園の景色などが瞭々と目の前に浮んで来る。
 ああ、自分はなぜこんなに悲しい気になるのであろうか。もうもう彼女のことは思い切っているのにと自から心を励ますけれど、熱い涙が知らずにぽたぽたと落ちる。物の哀れはこれよりぞ知るとよく言ったものだ。自分は曾て雑司ヶ谷の鬼子母神に参詣して御鬮を引いたこともあったが……やはり行末のことや、はかない恋をそれとも知らなかったからである――この道を行けば、やがて鬼子母神の境内に出るのだが、もう草は枯れている。圃のものも黄ばんでしまった。なんだか斯う、彼女の面影が目に見えて来る。そういえばこの道を去る秋、共に通ったことがあったのである。
 ああ、もうもう思うまい思うまい、悲しいんだやら、こう気が焦ってくるばかりで、やはりこれが悲しいんであろう。涙が知らずに湧いて来る。
 どれ、ハーン先生の墓にでも詣ろう。……



 思えば一昨年、ちょうど季節は夏の始めである。青葉の杜を見ても、碧色の空を見ても何となく、こう恋人にでも待たるるような、苦しいかと思うと悲しいような、又物哀れな慕わしげな気持のする頃であった。
 自分は学校の窓から裏庭の羅漢松の芽の新なる緑を熟と見入て色々の空想に耽っていた。するとベルが鳴ってハーン先生が来たのである。この日初めて先生の顔を見るのだ。
 先ず空想に浮んだのはこの人が希臘に生れ、西印度諸島や、その他諸方を流浪して来たと云うことである。背の低い眇目の、顔付のどことなくおっとりとした鼠色の服を着ていなさる、幾人の兄弟や、姉妹があり、父や母は何処にどうして、而して真面目な恋もあって、それが成就しなかったのではあるまいか。などと種々の空想を廻らしていた。やがて講義が終えてから、運動場に出て、羅漢松の木蔭の芝生の上に腰を下して漫々たる碧空に去来する白雲の影を眺めていると、霊動する自然界が、自ら自我に親しみ来るように思われる。そこいなき円い空、寂しそうな白雲、袂におとずれる風のささやき。雲を踏み、海を渡り、親もなく、兄弟もなき異郷に漂浪する、先生の身が可哀そうになって来る。今も尚お優しい余韻のある、情熱の籠っている講義の声が律呂的に耳許に響いているような。
 而して熟々と穏かな容貌が慕わしうなり、又自分も到底この先生のようでは…

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