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凍える女
こごえるおんな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年8月10日
初出「三田文學」1912(明治45)年1月号
入力者門田裕志
校正者坂本真一
公開 / 更新2017-03-06 / 2017-03-09
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 おあいが村に入って来たという噂が立った。おあいを見たというものがある。また見ないというものがある。見たという人の話によると、鳥の巣のような頭髪を束ねて、顔色は青白くて血の気のない唇は、寒さのためにうす紫色をしていた。背には乳飲児を負って、なるたけ此方の顔を見ないように急いで、通り違ってしまった。きっと、森の中の家に来ているのだろうといった。
 村の北には森がある。森の中に一軒家があった。五六年前まではその森の中に二軒あったが、今は、一軒は壊れてしまって、ただ古い大きな家が一軒建っている。この家も前に壊れた家も、森の中の秘密のある家としてこの村では知られていた。ちょうど森が黒い扉のようにこの二軒の家を包んでいた。夜になると、森を暗い夜が取り巻いて、その中に隠れた家ではいろいろの罪悪が行われたらしい。赤い色の着物を被た女や、紺地の股引を穿いた男や、白い手拭を被った者等が一つの瞬きする蝋燭の火影を取り巻いて、その下で博打をした。また不義の快楽に耽ったりしたのである。一軒の家は肥った主人で、その名をおくらといったが脹満で、しまいには動けなくなった。このおくらは動けなくなっても、二人の年若い女を使っていて、自分は厚い蒲団の上に坐ってさまざまの来る男共を相手として、相変らず博打をしたり、いろいろな性質の分らない仕事の取り持ちをして、いつもすべすべした生白い顔には笑みをたたえて頭髪には油をこてこてと塗っていたのである。この女の、暮らし向きの秘密などを知っているものがなかった。或る夜、ふとこの女は何処へかこの家から立退いてしまった。明る日、いろいろな男共が、この家の前に集って口を極めてこのおくらのことを悪者などといって罵った。けれど、それもいずれへか散って、その日の暮方からは、全くこの家は淋しくなって戸が閉っていた。中を覗いて見ると、何もなかったらしい。どういうものかその後誰も来てこの家の始末を付けるものがなかった。雨が漏ったり、風が壁板を破ったりして、彼是一年余りもその儘になっていた。そのうちに或日、町から人が来て、この家を取り壊して何処へか車に乗せて運んで持って行てしまった。まだ後に腐れた畳や、紙の煤けた障子などがその儘圃の中に置いてあったが、どういうものか其等のものは、その明る日になっても、ついに幾日たっても持って行かずに、其処で腐れてしまった。それから、もう、この家の跡に訪ねて来るものもなかった。
 まだ、家が立ち腐れになっている時分、この空家の中でも、いろんな者が集って来て博打をするなどという噂もあったが、この家が取り壊されてしまうと共に其様な噂も影さえなくなってしまった。



 それからというもの、森の中の秘密は、全く後に残った一軒の家に集められたのである。おくらはその後何処へ行ってしまったか、またおくらに使われていた年の若い艶めかしい、怪しげな女共…

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