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不思議な国の話
ふしぎなくにのはなし
作品ID53179
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子」 ちくま文庫、筑摩書房
2008(平成20)年9月10日
初出「金の鳥」1922(大正11)年4月号
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-09-15 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 そのころ私は不思議なこころもちで、毎朝ぼんやりその山を眺めていたのです。それは私の市街から五里ばかり隔った医王山という山です。春は、いつの間にか紫ぐんだ優しい色でつつまれ、斑ら牛のように、残雪をところどころに染め、そしていつまでも静かに聳えているのです。その山の前に、戸室というのが一つ聳えていましたが、それよりも一層紫いろをして、一層静かになって見えました。
「あの山は何て山じゃ。あの山の奥は何処にあるのじゃ。」
 そう私は私の姉にたずね、山という不思議な、まだ私たちの見たことのない国に、何かしら私たちに近いものが住んでいるような気がしました。そう言っても天上の星族になお私たち人類が生息しているというような想像よりも、ずっと親しい問題だったのです。姉はそんなとき、
「あれはお前、薬草がたくさん生えている山なんですよ。それで医王山という名前がついているんです。」
「薬草って、どんなもの。」
「どんなものって、姉さんだってすっかり知っているわけじゃないんですけれどね。あの山の頂に、蒼い池があるそうだよ。いつのころからあるのか知らないけれど、それは古い、そして青い底をした水の冷たい池があるんですよ。そこのまわりに、さまざまなお薬になる草があるんで、みんな昔は薬草狩にでかけたものだそうですよ。大池っていうの。」
 私はすぐ山の上にある、空ばかり映っていて、すこしも濁ってない青い水底を考えましたが、そこにも、やはり魚なんぞが河や潟のように住んでいるのか知らと思って訊ねました。
「魚はいるの。うしろの川にいるような魚が。」
「いえ、魚は水があまり冷たいんでいないんですて、おられないんですて、そのかわり赤いいもりがおるんだって。いやね、いもりなんて。」
 私は即座に蛙のような奇体な、長ぼそいいもりを考えましたが、まだ腹の朱いのを見たことがなかったので、そういう朱いのが実際にいるものか知らと思いました。
「たくさんおるの。」
「なんでも、そのお池のなかに、大きな石があるんですて、その石がちょうど傘のように、表面は広がっていて、五六人も乗れるが、底の方はすぼがっていて、そこにたくさんのいもりがおるんだそうですよ。朱いのがその石のまわりを、誰もこないときにまるで小さい人間の裸のようにちょろちょろ泳いでいるんだそうですよ。人間がちかづくと、ずっと底の方へかくれてしまって、なかなか浮き上ってこないんだそうですよ。」
 姉はそういうと持前な上手な口調で、だんだん話しつづけるのです。どういうものか、私は私の姉の話をきいていると、話してくれることがすっかり目の前にはっきり浮んできて、まるで本統の実景を見ているような気がするのです。それほど話上手な姉のことゆえ、手で真似をして見せたり、美しい眉をしかめたり、または、わざとその大きい黒い瞳をいっぱい開いたりするのです。
「その石がね、池のま…

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