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黒田如水
くろだじょすい
作品ID53195
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「黒田如水」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年11月11日
初出「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-07-11 / 2017-02-06
長さの目安約 335 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

蜂の巣




 太鼓櫓の棟木の陰へ、すいすいと吸いこまれるように、蜂がかくれてゆく、またぶーんと飛び出してゆくのもある。
 ここの太鼓もずいぶん久しい年代を経ているらしい。鋲の一粒一粒が赤く錆びているのでもわかる。四方の太柱でさえ風化して、老人の筋骨のように、あらあらと木目のすじが露出している。要するに、この御着の城と同時に建った物であることは疑いもない。
「……あ、蜂の巣か」
 官兵衛は眼をさました。とたんに自分の襟くびをつよくたたいて、廂の裏を赤い眼で見あげた。
 ゆうべから彼は寝ていない。一睡のひまを偸むこともできなかったのである。そこでさっきから独りここへ逃避して、柱の下に背を凭せかけたまま、よいこころもちで居眠っていたのであった。
 本丸の方からは見えないし、夏の陽ざしもぐあいよく四囲の青葉が遮ってくれている。それに城内でもここの位置は最も高いので、中国山脈の脊梁から吹いてくるそよ風が鬢の毛や、懐を弄って、一刻の午睡をむさぼるには寔に絶好な場所だった。
「これはいかん、だいぶ食われた。……蜂までがおれを寝かさんな」
 官兵衛はひとり苦笑して、襟くびや瞼をしきりに手でこすっていた。
 為に、眠った間はほんのわずかであったが、それでも、大きな欠伸を一つ放つと共に、夜来の疲れは頭から一洗されていた。そしてまた今夜も寝ずに頑張らなければならないと、ひそかに考えていた。
 しかし彼は容易にそこから起たなかった。袴の膝を抱いたまま、柱に凭って、ぽかんと屋根裏を仰いでいた。蜂の巣を中心に、蜂の世界にも戦争が行われているらしいのである。偵察蜂が出て行ったり、突撃蜂を撃退したりしている。官兵衛は見飽かない顔をしていた。けれど頭のなかではまったくべつなことを思案していたかも知れなかった。
 するとやがて二人の家中が上がって来た。侍小頭の室木斎八と今津源太夫のふたりだった。官兵衛のすがたをここに見出すと、ふたりとも意外な容子を声にまであらわして告げた。
「や、ご家老には、こんな所へ来ておいで遊ばしたか。いやもう、彼方ではたいへんな騒ぎです。きっとご立腹の余り姫路へ帰ってしまったにちがいないという者もあるし、いやいや、殿に無断で立退くほど非常識なお人ではない、まだどこかにいるだろう、などと諸所を探しまわるやら、城外まで人を見に出すやらで……」
「ははは。そうか。そんなに探しておったか」
 まるで人事のような官兵衛の顔つきだった。そんな問題よりは、蜂に食われた瞼のほうが重大らしく、眉と眼のあいだを、しきりと指の腹で掻いていた。



 全国、どこの城にも、かならず評定の間というものはある。けれどもその評定の間から真の大策らしい大策が生れた例は甚だ少ないようだ。多くは形式にながれ、多くは理論にあそび、さもなければ心にもない議決におよそ雷同して、まずこの辺という頃合いを取…

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