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イグアノドンの唄
イグアノドンのうた
作品ID53201
副題――大人のための童話――
――おとなのためのどうわ――
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「文藝春秋」1952(昭和27)年4月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-02 / 2014-09-16
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

カインの末裔の土地

 終戦の年の北海道は、十何年ぶりの冷害に見舞われ、米は五分作か六分作という惨めさであった。豊作でさえ米の足りない北海道のことであるから、この年の冬は、誰も彼も皆深刻な食糧危機におびやかされた。
 それにこの冬は、例年にない珍しい大雪であった。毎日のように、暗い空からは、とめどもなく粉雪が降りつづき、それが人々の生活の上に重苦しくおおいかぶさっていた。この雪に埋れた不安な生活の上に、陰鬱な日々がただ明け暮れて行くのを、じっと我慢して春を待つより仕方がなかった。
 私たち一家は、この冬を、羊蹄山麓の疎開先で送った。此処は有島さんの『カインの末裔』の土地であって、北海道の中でも、とくに吹雪の恐ろしいところである。「吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った」というのは、有島さんの有名な描写である。この荒涼たる吹雪の景色は、今日も少しも変らない。そしてこの無慈悲な自然の力に虐げられている人間の姿もまた、往年の名残りを止めている。
 終戦の年の冬は、この自然の猛威の外に、今一つ食糧危機という恐ろしい脅威が加わっていた。見渡す限りの土地は雪に埋れている。吹雪の日には、雪までも白くはなく、死んだような灰色である。葉の落ちた闊葉樹はもちろんのこと、雪に蔽われた針葉樹にも、緑の色は全然見られない。この一点の緑もない世界、満目唯灰色一色の世界では、食糧の不安感が、ひしひしと人の心に迫る。「雪が解けて、たらの芽でも何でも、青いものが出て来るようになれば」と、人々は遠い春をはるかに望んで、力弱い溜息をもらす。
 北海道の長い冬休みを、子供たちとこの疎開先で過した。遊び道具も本もない疎開先の生活で、とくに連日の吹雪の夜など、子供たちはよく私に話をせがんだ。幸い薪だけは豊富にあったので、どんどんストーヴにくべて、その周囲に皆が寄りそっていた。勢よく燃える薪の音が、戸外の激しい風の叫びをわずかに押えて、生命の営みを辛うじて表象しているというような夜が、毎晩つづいた。電燈はもちろんうす暗かった。凄じい風の音につつまれながら、それは妙に気の滅入る沈黙の世界であった。

『失われた世界』

 子供たちは、もう浦島太郎の時代をとっくに過ぎていたので、話といっても、そう種はなかった。それに本も手近かにはないので、すぐ話の種につまって、大いに弱らせられていた。ところがどうしたはずみか、荷物を片づけているうちに、妙な本が一冊ころがり出て来た。コナン・ドイルの『失われた世界』の廉価本である。
 これはもう二十年も前に、倫敦でディーケ博士から貰った本である。オランダの理論物理学者であるが、理研で暫く一緒にいたことがあるので、その後も親しくしていた。そのディーケが倫敦の学会へやって来た時、ホテル…

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