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寺田先生の追憶
てらだせんせいのついおく
作品ID53202
副題――大学卒業前後の思い出――
――だいがくそつぎょうぜんごのおもいで――
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「婦人公論」1941(昭和16)年2月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-20 / 2014-09-16
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わが師、わが友として、最も影響を受けた人たちと言えば、物心がついてから今日まで、私が個人的に接触したすべての人が、師であり友であった。
 どういう人でも、よく見れば必ず長所があるので、その点を表立てて見ることにすれば、自分の接触する人は誰でも師であり、友であると、この頃私はかなり自然にそういう気持になっている。こういう心の持ち方は、明かに寺田寅彦先生の感化を少し変形してではあるが受けたものと、自分では思っている。
 先生はどんな人でも憎んだり、避けたりされるようなことはなかった。沢山の学生の中には、随分気障な男や、内攻的な打算家などもあって、私たち仲間ではいやな奴となっていた男でも、先生はよく親身になって面倒を見ておられた。もっとも時々癇癪を起されることもあったが、その後ではいつも「今の若い連中には、無限に気を長く持たなければならないようだ。それぞれ長所はあるんだが」と言っておられた。
 そういう気持の先生でも、やはり憎悪に近い感情を持たれた一種の人たちがあった。それは、道徳とか愛国とかいう最も神聖なことを売り物にして、それで生活の資を得ている人たちに対してであった。その頃物理の畏敬すべき先輩が恋愛事件で失脚されたことがあった。その事件をいつまでも如何にも楽しそうに蒸し返し繰り返して非難することによって、自己の道徳が堅固であることを誇示するつもりになっていた先生方が、大学の中にもあったそうである。それからこれも末期の現象の一つであったのであろうが、東京の下町などには、女髪結のような職業の人たちにいやがらせをやって生活していた自称愛国団体の下っ端の連中があった。こういう人たちの話が稀に出ることがあると、先生は妙に興奮気味の口調で「僕はああいう人たちには、どうにも我慢が出来ない」と言われた。そして「寺田君の説によると、泥棒をする男は皆善人なのだそうだ」という風に意地の悪い人たちから言われても、平気な顔をしておられた。これは推測であるが、そういう風に言われると、かえって内心少し御得意のようでもあった。
 先生のこういう気持も、それぞれの形で、私たちの心に伝えられて今日まで育って来ている。私などは悪い弟子で、それが少しこじれて、時々奇矯の言を弄して損をすることもあるが、神聖なものに対する畏敬の念という一番大事なものを教わったことをいつも内心では喜んでいる。
 ところで先生から受けた影響というよりも、その前に、先生との機縁ということについて考えて見ると、私は今更のように世の中というものは、随分微妙なものだという気がしている。今日北海道の一隅で、非常に恵まれた条件の下に、好き勝手な研究を楽しんでいる自分の生活をふり返って見ると、その出発点は、全く寺田先生にある。もし先生を知らなかったら、私は今日とはまるでちがった線の上を歩いていたことだろうと思う。それにつけて私は、生…

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