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I駅の一夜
アイえきのいちや
作品ID53205
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「世界」1946(昭和21)年2月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-02-24 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 まだ戦争中の話である。
 三月十日の未明、本所深川を焼いたあの帝都空襲の余波を受けて、盛岡の一部にも火災が起きた。丁度その時刻には、私は何も知らずに、連絡船の中でぐっすり寝ていた。
 青森に着いても何事も知らされず、いつものように乗客は先を争って汽車に乗ろうとし、それを制止する駅員の声がとぎれとぎれに雑沓の中に響く、普段通りの連絡駅風景であった。雪が少しばかり降っていた。
 やっと座席がとれてほっとした。やれやれこれでとにかく東京まで行けるのである。黙って坐ってさえいれば、いつかは東京に着けるということが、この頃は少し不思議なことのように感ぜられるくらいである。
 ところがこの時は、折角のその安心感が僅か半日で打ち切られてしまった。盛岡へ着いてみたら、駅の周囲がすっかり焼けていて、まだ余燼が白く寒空に上ち昇っている風景に遭った。今朝の夜明けに初めての空襲があって、駅も少しばかりの被害を受けた。とにかく汽車は此処で打切るから、次の盛岡始発の列車に乗れという話である。
 重い荷物を持ちあぐみながら、いわれた通りに三時間ばかり待って、次の列車に乗ろうとしたが、恐ろしい雑沓でとうとう乗りはぐれてしまった。もう二時間待って、その次の青森から来る上野行にやっと乗ることは乗ったが、それがまた満員で、漸くデッキの所に割り込ましてもらったくらいであった。初めのうちはどうにか我慢していたものの、夜に入ると共に風は冷くなるし、脚は疲れてくるし、このまま上野まで立ち通しではどうにも身体が持たないような気がして来た。
 車掌に相談してみたら、I駅で下車して一泊すれば、明朝早く始発の上野行が出るから、それに乗ればすいているだろうとのことである。但し宿屋は今からではむつかしいかもしれないがという。しかしとうとう我慢し切れなくて、思い切ってI駅で下りてしまった。夜の九時過ぎのことで、しかも燈火管制のやかましい最中のこととて、何処も此処も真暗である。それに雪がまた少し強く降り出して来ている。
 とりあえず闇の中を駅前の交番まで辿りついてきいてみたが「さあ、今頃になって宿は無理でしょうな」と巡査は極めて冷淡である。戦時研究の大事な要件で上京すること、途中の不測の災害でこういう始末になったことを説明しても、戦時研究員などというものには全然縁がないらしく、てんで相手にしてもらえない。やっとのことで二軒ばかり宿屋の名前を教えてもらって、真暗な町の中をたずねて行ってみたが、全部満員ですとあっさり断られてしまった。
 仕方なく再び交番まで帰ってみると、巡査はひどく不機嫌である。「何度来たって駄目ですよ。此処に電話があるんで、ちょっと宿へ電話でもかけてくれたらと思うんでしょうが、これは警察電話で町へはかからない電話なんですよ」と頼まないことまで先手を打って断られてしまった。
 かかわり合っても仕方がない…

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