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南画を描く話
なんがをかくはなし
作品ID53216
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「中央公論」1941(昭和16)年7月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-02-24 / 2014-09-16
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昨年の春から、自分では南画と称しているところの墨絵を描くことを始めた。
 南画を描くなどというと、段々年をとると、油絵よりも墨絵の方が良くなるそうだねなどと冷かされることもある。しかし私の場合は、そういう趣味が枯れて来たなどという洒落れた話ではなく、もっと現実な理由があるのである。
 それはこの頃のように段々忙しくなって来ては、どうにも油絵など描いている閑はなくなってしまったからである。
 閑のあるなしは、時間の問題ではなくて、心持の問題だということは真理であるが、それにしても、油絵のように、正味十時間とか十五時間とかとられるのでは、どうにもやり切れない。
 その点墨絵の方は大変便利であって、描きかけたら、一時間か二時間あれば大抵の絵は出来上る。もっともいくら初年生の絵描きでも、少しは構図も考えたり、物を見たりする必要はあるので、全体としたら一時間で出来上るわけではない。しかし物を見たりする方は、いくらも時間のやり繰りが出来るので、正味の時間が潰れることはないので、大変助かるのである。少し不心得な話であるが、興味も必要も余りない会議の席などに何時間も唯顔を並べているだけの時などは、卓の上にある羊歯の葉の形を見ているというような場合もあり得るわけである。
 この正味の時間をとられるかとられないかということが、私の南画を始めた決定的要素であったのであるが、少し描いて見ると、段々面白くなって来て、この頃は自分ながら少し可笑しいくらいの熱の揚げ方である。もっともそんなに時間がないのなら、何も新しい道楽など始める必要もないはずである。それにはたから見たら随分無理なやり繰りをして、妙な墨絵を描いているところを見ると、よほど道楽者に生れついているらしい。
 その弁解をするようであるが、実はこういうことも少し考えているのである。
 それは、前に「墨色」という雑文を書いた時に詳しく言ったように、寺田先生の墨流しの研究や、墨と硯に関する物理的研究を読んで、東洋の精神の一つのあらわれといわれている墨色という現象について、非常な興味をいだいたことがあった。そして今に停年にでもなったら、少し墨色の科学的な研究をして見たいという希望をもったことがある。
 それで機会があるごとに、良い墨絵を見たり、墨の話を聞いたりしていたので、非常な名墨と駄墨との色の差くらいは分るようになった。そうなると、やはり自分でも少し描いて見たくなって、とうとう墨色の科学的研究に関する基礎技術の練習を始めることになったわけである。
 前に油絵を始めたのは、寺田先生の油絵を見て羨しくなったのが機縁であった。大学を卒業して、先生の助手になった時に、初めて油絵具というものを買った。そして油絵具にはいくら油をさしても色は淡くならない、そういう場合には白を混ぜるのであるという知識だけを基にして、十枚ばかり色々と工夫して油…

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