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科学と文化
かがくとぶんか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
「日本の科学」 創元社
1940(昭和15)年
初出「文学界」1937(昭和12)年12月1日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-29 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々上っているようである。自然科学が従来のように工業的方面にのみ利用されているのにあきたらず、もっと人間の精神活動の方面に、即ち広い意味での文化の向上に役立たせようという企ての一つの現れと思われる。
 この運動は科学者の方面と、文学者の一部と両方の側から進められているように見える。科学者の側からは、盛に科学精神の発揚というようなことが唱えられるし、文学者の中には、最近の物理学の急激な発展の齎した結果を文学やその人の「哲学」の基礎に導き入れようという試みをする人が出て来ている。この両方の企ては共に大変結構なことであり、また例えば田辺元博士の如く立派なちゃんとした正道にのった議論をしている人も勿論沢山あるのであるが、中にはその意図が解しがたいものも沢山ある。
 その中で一番困るのは、何々と科学精神というような種類の論文であって、何より困ることは難しくて読んでも分らないことである。一時の左翼の論文のようにむやみと難しい言葉が沢山使ってあって、本当にいいたいことが、それらの難語の猛威に打ち挫かれて、砂利の蔭の菫のようになってしまっていることが多い。その菫もどんな貧弱な花でもつけているのはまだよい方で、中には菫か雀の稗か分らぬようなものもある。もっともそれは読む方が悪いので、もっと教養を積んだらあのような論文が皆分るようになるのかも知れないが、そんなサンスクリットで書いた論文のように極少数の人にしか分らないものは、どんな卓説でもちょっと困るのである。
 次に言葉はそれほど難しくなくても、むやみと最近の物理学の尖端の問題、量子力学や原子論の結果を引用したものもちょっと始末が悪いのである。原子の世界での因果律の否定の問題とか、ハイゼンベルクの不確定原理とかいうものを「基礎」として色々の議論をしてあるものは、物理を職業としているわれわれでも専門が異るために、これらの高遠な理論の本当の意味を解しかねているので、従ってそれを基礎とした議論の当否などは何とも批評が出来ないのである。卒直にいうと、これらの理論は眼新しくて、また非常に高遠に見えるので、余りよくは分らないが結論だけは間違いないだろうから、その結論の上に立って自分の議論を進めようという気持のようにも思われる。もしそれだったら科学というものの意味が本当に分っていないのではないかと危ぶまれる。科学は決してアルカロイドのようなものではなく、即ち極少量注射したら瀕死の病人が生き返るというようなものではなくて、実際は米かパンのようなもので、毎日喰べていて栄養のとれるものなのである。科学というものは、整理された常識なのである。もっともこんなことをいっては、この方面の議論をしておられる一部の文学者の叱責を買うかも知れない。それだったら文句なく兜をぬぐつもりである。物理…

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