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楡の花
にれのはな
作品ID53490
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「花の名随筆4 四月の花」 作品社
1999(平成11)年3月10日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2013-01-30 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の今つとめている札幌の大学は、楡(エルム)の樹で有名である。
 緑の芝生がつやつやと滑らかで、そのところどころに大きい楡の樹が立ち、鮮かな緑の葉が天蓋のように空を蔽っている。夏の陽光に映えたその木蔭から、もとは白壁の校舎が点々と見えた。
 全体の様子は、ニューイングランドの或る学校の構内を、そのまま真似たという話である。そしてエルムの学園などという言葉が、戦前まではよく使われたものであった。
 内地の若い人たち、特に女学生の人たちの間に、このエルムの樹はなかなか人気があったようである。戦争前までは、夏休みになると、毎日のように、修学旅行の連中が来た。緑の芝生の中に、白いパラソルの列がそろそろ見え始めると、もう夏休みになったという気がしたものである。
 ところでこういう美しいエルムの樹の花はどんなだろうかという質問を時々うけることがある。なるほどエルムの花盛りというものは、一寸旅行者には見られない。旅行者でなくても、札幌に住んでいる人でも、殆んど注意を払う人は無いであろう。「エルムの樹に花なんか咲きゃしませんよ」というのが、大多数の人の返事であろう。
 しかしエルムにも立派に花盛りがあるのである。四月、といっても、北国の春はおそく、やっと雪は消えたが、地面はまだどろどろで、冬中にたまった汚いものが、その泥にまみれていっぱいちらかっている。空は曇りがちで、鼠色の雲が低く垂れ、いつまでも冷たい風が吹く。そういう時に、冬の間はすっかり葉が落ちたエルムの梢が、まだ枯枝のまま暗い空に交錯してのび出ている。仰いで見ると、墨絵の線描きのような恰好である。
 その時よく注意して見ると、どの小枝にもみな点々と心もちふくらまったところがある。丁度葉の芽が出ようとしているところのように見える。それがエルムの花なのである。夕暮に冷たい風の吹く中を、オーバの襟を立てながら、鼠色の空に交錯する枯枝を仰いで「またエルムの花盛りになったね」と冗談を言う友人もあった。
 木屑のような花ながら、エルムにとっては、それが青春なのである。一寸可笑しいような気もするが、それを仰ぐ大学の先生方だって似たようなものである。そういう先生方は、エルムの花のような青春を送っていれば、それで世間は安心している、というよりも、その方が評判がよいと言った方がよいであろう。その上年中貧乏をして、研究費がなくて困っていれば、ますます感心な学者ということになる。
 これは日本だけの話ではなく、外国でも偉い学者の伝記といえば、貧乏をして、いろいろな迫害を受けて、その中をどうにか切り抜けて、何かの発明をするとか発見をするとかいう話が多いようである。特に日本では、そういう話が受けるらしい。非常な大金持で、豪奢な暮しをして、遊びながらやった研究では、どんな偉い発見をしても、世の中の受けはあまりよくない。何となくそぐわないからで…

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