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日本媼
にほんおうな
作品ID53507
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第九巻 随筆」 岩波書店
1981(昭和56)2月27日
初出「改造」1929(昭和4)年10月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-20 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 媼の名は、Marie Hillenbrand といふ。媼がまだ若くて体に弾力のあつた頃から、その母親と共に多勢の日本留学生の世話をした。当時の日本留学生は概ね三年ぐらゐ居たのであり、一つの都市に居ついて其処で勉強するのを常としたから、都市の人々と留学生との間に、おのづと心の交渉が成立ち、それが今時と較べて余程親密なものであつたと見える。そこで、この媼は娘のときから入りかはり立ちかはり日本留学生の世話をして老媼に及んだのである。『日本ばあさん』といふのは、これに本づいた名であつた。
 私は西暦一九二三年の七月から丸一年ミユンヘンに居るうちいろいろ媼から世話になつた。そして後半の七ヶ月あまりを媼の家に起居し、ミユンヘンを去る時も媼の家から立つた。いま追憶してなつかしく思ふのもその為めである。
 媼は私の世話になつたころは、既に六十に手が届くぐらゐの齢に達してゐた。昔世話した日本留学生の写真を沢山持つてゐて、居間に飾つてあつたり、アルバムのなかに插んであつたりして、楽しさうにそれを私等に示した。なかには媼が未だ娘々した顔でうつつてゐる写真などもあつた。
 媼が生んだただ一人の男の子に Wilhelm Hillenbrand といふのが居た。これは日本の留学生の生ませた混血児であるが、すでに三十に近い敏捷な若者である。皆が Willi と呼んでゐた。
『Willi の奴を看てゐると実におもしろいね。すばしこくて、短気で、猾いところがあるかと思へば、気前が馬鹿に好かつたりして、やつぱし半日本人といふ処があるね』
『それはさうだらう、実は婆さんにも一寸そんなとこがありあしないか』
『さういへばそんな点もあるやうだね。何せ日本人が好きで世話をしながら、子を生んだのだから、何かの黙契があつたんだらう』
『黙契か、婆さんの顔でもひよつとしたら、蒙古種でも交つてゐるのかも知れんぜ。蒙古の奴らが昔このへんまで荒らしたといふぢやないか』
 こんな話が或時、私等一二人の間に取交されたこともある。
 Willi は、私を警察に連れて行つて届を出して呉れたり、新聞社に行つて部屋借りの広告を出して呉れたりした。ある日、部屋を見に連れて行つたかへりに、
『ミユンヘン人は何でも真直に物云ひますから、先生も喧嘩なすつちやいけませんよ』などと云つたことがある。“direkt”と云はずに“gerade”などと云つたのが珍らしいやうな気がして、帳面に書きとどめたことがある。
 その Willi に許嫁の娘が一人ゐて、やはり媼の家に同居して居つた。若者も小柄であるが、娘も小柄で丸い可哀らしい顔をしてゐた。然るに、娘と媼の間がどうも旨く行かぬらしい。目立つて争ふやうな場面は私どもに示さなかつたけれども、媼はここに投宿してゐる私の友に泣いて訴へることなどもあつた。
 さうしてゐるうちに、若者は娘を連れて、…

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