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日本大地震
にほんだいじしん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第九巻 随筆」 岩波書店
1981(昭和56)2月27日
初出「改造」1929(昭和4)年10月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-20 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 西暦一九二三年九月三日。うすら寒く、朝から細かい雨が降つた。日の暮に Spatenbr[#挿絵]u 食堂の隅の方に行つてひとり寂しく夕餐をした。七月十九日にミユンヘンに著いて以来、教室では殆ど休なく為事を励んだのであつたが、いまだに自ら住むべき部屋が極まらない、極まりかけては南京虫に襲はれ襲はれしていまだに極まらずにゐる。それも教室の方の為事を休んで部屋を捜すのではないのは、つまり教室の方は縦ひ一日の光陰をも惜しむがためであつた。けふも新聞の広告で見当を附けておいた数軒の部屋を見まはり、今夜は Klenze Str. 三十番地の部屋に寝泊りして虫の襲撃を試すつもりである。
 いつもなら二人の同胞がゐて食事を共にするのであるが、けふは都合があつたと見えて誰も来ない。まるい堅さうな顔をした娘が半立突の麦酒を運んで来て、しきりに愛想を云ふ。『ドクトルまだ恋をしたこと無い?』などといふことをいふ。『まだ無いね』などといふ。『けれど、シナでは十三四でもう結婚すると云ふぢやない?』『それは百姓どものことだ、僕のやうな学者は矢張り結婚はなかなかしないものだ』『さういふものなの?』『どうだ、恋をして日本へ行くか、Fujiyama の国へ連れていかうか』『え、行きたいわ』などといふ会話をしたりする。さうすると幾らか気の晴れるのを覚えるのであつた。
 そこに夕刊の新聞売が来たので三通りばかりの新聞を買ひ、もう半立突の麦酒を取寄せて新聞を読むに、伊太利と希臘とが緊張した状態にあることを報じたその次に、“Die Erdbebenkatastrophe in Japan”と題して日本震災のことを報じてゐる。
 新聞の報告は皆殆ど同一であつた。上海電報に拠ると、地震は九月一日の早朝に起り、東京横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞上り、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなつた。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。
 私は暫く息を屏めて是等の文句を読んだが、どうも現実の出来事のやうな気がしない。併し私は急いで其処を出で、新しく間借しようとする家へ行つた。部屋は綺麗に調へてあつたので私は牀上に新聞紙と座布団とを敷き尻をぺたりとおろした。それから二たび新聞の日本震災記事を読むに、これは容易ならぬことである。私の意識はやうやく家族の身上に移つて行つた。不安と驚愕とが次第に私の心を領するやうになつて来る。私は眠薬を服してベットの上に身を横へた。
 暁になり南京虫に襲はれこの部屋も不幸にして私の居間と極めることが出来なかつた。九月四日の朝、朝食もせず其処を出て日本媼のところに急ぐ途中N君に会つた。N君も日本の事が心配で溜まらぬのでやはり朝食もせずに日本媼のところに来た途中なのであつた。N君の持つてゐるけふの朝刊新聞の記事を読むと、きのふの夕刊よりも稍委しく出て…

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